ガムの下の絶交
掃除当番が終わったのに、三廻部直緒と隣の列の男子だけが教室に残された。
机の裏にガムがついていたからだ。
「誰だよ、こんなところに」
男子は定規の角で固まったガムを削った。直緒は古新聞を床へ広げ、落ちた欠片を受ける。
「この机、私の」
「じゃあ三廻部じゃない?」
「自分の机の裏に貼る意味ある?」
「いつでも会える」
「会いたくない」
ガムは石みたいに硬く、少しずつしか取れない。窓の外では吹奏楽部が音階を始め、校庭の影が伸びていた。
定規が滑り、机の裏の鉛筆書きを削った。
『二年五組 吉岡・北原 ここで絶交』
二人は手を止めた。
よく見ると、ほかにも文字があった。
『文化祭、絶対勝つ』
『六月十二日 告白失敗』
『眠い』
『先生のネクタイ、昆布』
何年も前の生徒が、誰にも見えない場所へ残した言葉だった。
「吉岡と北原、仲直りしたかな」
「絶交って書くくらいだから、次の日してそう」
「根拠は」
「本当に嫌いなら二人の名前並べない」
直緒は指で文字をなぞった。鉛筆は薄れているのに、『絶交』だけ強く残っている。書いた瞬間は、きっと一生続くつもりだったのだ。
男子が定規を置いた。
「俺らも何か書く?」
「だめでしょ」
「掃除で見つけた記録として」
「先生に見つかったら?」
「次の掃除当番が削る」
直緒は筆箱から鉛筆を出した。
机の裏へ顔を近づけると、埃の匂いがした。何を書くか迷い、結局、小さく日付だけ記した。
男子がその下へ書く。
『ガム、撤去済み』
「それだけ?」
「事実は大事」
「青春がない」
「三廻部、追加して」
「何を」
「昆布の続報とか」
直緒は笑い、先生の今日のネクタイを思い出した。灰色で、確かに少し昆布に似ていた。
『本日のネクタイも昆布』
二人で机を戻した。
翌日、席についた直緒は、授業中に何度も机の裏を気にした。文字は見えない。だからこそ、そこにあることが鮮明だった。
卒業生の絶交も、誰かの告白失敗も、自分たちのくだらない一行も、同じ暗がりに並んでいる。
放課後、あれほど取れなかったガムの跡だけが、白い丸になって残っていた。
直緒はそこを、見知らぬ先輩たちの記憶に空いた、小さな席のようだと思った。