パン窯に二つの紋
戦火を逃れた白塔領の民が、粉挽き町へ着いたとき、荷車に積んでいたのは寝具ではなく発酵種だった。
彼らはパン職人だった。だが町には共同窯が一つしかない。
「窯を貸せば薪が尽きる」
親方衆は扉の前に立ち塞がった。避難民の子どもたちは、酸っぱい発酵種の壺を抱えて黙っている。
町を預かるセリカは、窯の壁に銅板を掲げた。
一、各家の自家用パン二十個までは窯代なし。
二、二十一個目から一個につき薪銭一枚。
三、売ったパン二十個につき一個を共同食卓へ。
四、窯の時間は一刻単位で抽選し、結果を前夜に掲示する。
「白塔だけ得をする規則ではありません」
セリカは親方衆を見る。
「町の職人にも同じです。納めた銭とパンの行き先は、毎週、窯の横に貼ります」
セリカは領主館の宴会用小麦を先に共同食卓へ回した。特別扱いではない。宴会は自家用二十個を超えるため、領主館こそ最初の納付者になる、と銅板の下へ記したのだ。
親方衆はそこで初めて、避難民だけに負担を押しつける策ではないと気づいた。
最初の抽選で、夜明けの枠を引いたのは白塔の若い職人だった。
彼は壺の蓋を開け、町の親方に差し出す。
「この種は低温でも膨らむ。半分使ってください。その代わり、窯の癖を教えてほしい」
取引は命令ではない。
親方は鼻を鳴らしながら種を受け取り、火床の右奥だけ温度が高いと教えた。
翌朝、避難民は丸い酸味パンを焼き、町の職人は細長い麦芽パンを焼いた。窯口で火加減をめぐり一度だけ言い争ったが、銅板の時間欄を見れば残りは半刻。二人は同時に薪を減らし、次の予約者へ熱を残した。余った薪を運んだのは粉屋、成形台を増やしたのは家具職人、共同食卓の棚を作ったのは、昨日まで受け入れに反対していた宿屋だった。
二十個目までを家族へ渡したあと、白塔の職人は二十一個目を棚に置いた。
親方も続けて、自分の二十一個目を隣へ置く。
昼鐘が鳴るころ、棚には二十七個のパンが並んだ。
空腹の者は名を問われず、一つ取れる。
夕方、子どもたちが窯の煤を落とし、入口に新しい印を描いた。右半分は粉挽き町の水車、左半分は白塔の星。
二つの紋の中央から、焼きたての湯気が一本に立ち上った。