フォロワー十万人の請求書

蛇ノ目堂真朱は、ラテを九割飲んでからカウンターへ戻した。

「冷たい。撮り直し用に新しいのを作って。あと、迷惑料として今月のケータリングを無料にしてよ」

新人バリスタが作り直しはできるが、無料契約は決められないと答えると、真朱はスマートフォンを向けた。

「私、フォロワー十万人いるの。『客を泣かせる店』って流せば、明日には閉店だよ。今ここで謝って」

奥の席にいた、迷彩柄の上着を着た大柄な男が立ち上がった。斑鳩谷梓馬。顔には深い傷があり、真朱は配信画面を少し下げた。

「撮影中です。絡んだら晒しますよ」

「その配信、最初から見ています」

斑鳩谷は自分の端末を示した。真朱は入店前からライブ配信し、「ほぼ飲んでから冷たいと言えば、店は無料にする」「若い店員なら泣かせやすい」と視聴者へ話していた。アーカイブはすでに保存されている。

「私は広告会社の顧問弁護士です。あなたが今月契約する予定だった化粧品会社の、です」

真朱の表情が止まった。

「これはキャラクター。演出です」

「店員も店も、演出への参加を承諾していません。悪評を流すと告げて無償サービスを迫れば、単なる感想の範囲を越えます」

店長が防犯映像を確認した。ラテは提供直後、真朱自身が「熱いから氷を入れる」と言って水を足している。カップをカウンターへ叩いた際、陶器の受け皿も割れていた。

斑鳩谷の電話が鳴った。広告会社の担当者だった。配信を見た視聴者から問い合わせが入り、真朱との起用契約を見送ると決定したという。

真朱は急に新人へ笑いかけた。

「今の部分を削除して、普通に謝罪動画を撮ろう。店の宣伝にもなるから」

新人は首を振った。

「私の顔を使うことには同意しません」

店長は撮影禁止と退店を告げ、破損した受け皿代の請求書を渡した。真朱が配信を切ろうとしたとき、画面にはスポンサー契約停止の通知が表示された。

斑鳩谷が請求書の目撃者欄へ署名し、真朱の配信アーカイブが証拠保全された瞬間、無料の一杯を脅し取るはずだった女には、失った契約と割った皿の代金だけが残った。