マスキングテープの境界
共同冷蔵庫の掃除は、月末の罰ゲームだった。
賞味期限の切れた調味料、誰のものか分からない保存容器、野菜室で液体になった小松菜。榊原遼はゴム手袋を二重にし、名前のないものを迷わずごみ袋へ入れていった。
「それ、俺の」
背後で野々村真澄が言った。遼が持っていたのは、乾ききった梅干しの瓶だった。
「名前がない」
「右奥は俺の場所だろ」
「右奥なんて決まりはない」
真澄は入居以来、冷蔵庫の一段を白いマスキングテープで囲っていた。牛乳一本にも油性ペンで日付を書き、他人の食品が線を越えると無言で押し戻す。皆は潔癖だと思っていた。
遼がテープを剥がそうとすると、真澄が手首をつかんだ。
「勝手に触るな」
「掃除当番だ」
「俺の分は俺がやる」
瓶が床へ落ちた。蓋が外れ、梅干しが二つ転がる。真澄はしゃがみ込み、食べ物ではなく空になった瓶を抱えた。
しばらくして、彼は言った。
「前にいた寮で、冷蔵庫に入れたら全部なくなった。給料日まで、水だけで三日いた」
遼は謝らなかった。真澄も説明を足さなかった。二人で棚板を外し、浴室で洗った。こびりついた汁をスポンジで削り、乾かす間に期限を確認した。
戻すとき、遼は新しいテープを一本だけ横に貼った。棚を左右に分ける線ではなく、手前に細長く引いた線だった。
「ここから前は、今日明日で食うもの。後ろは保存。名前は書く」
「俺の場所は」
「必要なら、ケースを置け。ただし線で囲むな。奥の物が見えなくなる」
真澄は不満そうに、透明なケースを一つ選んだ。そこへ米、卵、梅干しの瓶を入れる。遼は捨てるはずだった半端な豆腐を隣に置いた。
掃除が終わる頃、遅番の住人が帰ってきた。冷蔵庫を開け、「何か食える?」と聞く。
真澄は自分のケースから卵を二つ出した。一つは自分の手に残し、もう一つを遼へ投げる。
「期限、今日まで」
「じゃあ二人で使うか」
白い線は、もう誰の領土も囲っていなかった。真澄は剥がした古いテープを丸めて捨て、新しい線の後ろへ自分の瓶を戻した。蓋には、名字ではなく〈朝飯用〉と書いた。