一席だけの送別会
「送別会は苦手です」
久世直央は、誰かが辞めるたびそう言って欠席した。大人数が苦手なのだと、安西佳澄は思っていた。
派遣契約最終日の夕方、佳澄の送別会は開かれなかった。決算前で全員が忙しく、花束と寄せ書きだけが昼休みに渡された。寂しくないと言えば嘘になる。それでも、三年間使った引き出しを空にしてしまえば、気持ちまで片づく気がした。
午後五時五十分。経理部には佳澄と久世しか残っていなかった。
「その箱、持ちます」
「平気です。もう私の荷物ですから」
「昨日までも私物だったでしょう」
「昨日までは、久世さんに手伝ってもらう理由がありました。同じ部署なので」
言ったあとで、胸の奥が痛んだ。久世は返事をせず、休憩室へ彼女を連れていった。小さな丸テーブルに、コンビニの苺ショートが二つ並んでいる。紙皿もフォークも二つ。椅子は一脚しかなく、彼は立ったままだった。
「一席だけの送別会です」
「久世さん、送別会は苦手なんじゃ」
「ええ。別れる会なので」
壁の時計が午後六時を指した。佳澄の入館証は、その時刻で使えなくなる。久世は彼女の首から下がったカードを外し、返却用の封筒へ入れた。
細いストラップが鎖骨を離れた瞬間、同僚という札まで外された気がした。
「これで、仕事上の関係は終了です」
久世は自分のスマートフォンを差し出した。画面には土曜七時、二名で予約された小さなレストラン。予約者名の欄には「久世直央・安西佳澄」と、役職も会社名もなく並んでいた。
「佳澄さん。次は送別会ではありません」
初めて呼ばれた名前に、佳澄は返事を忘れた。代わりに予約画面の「参加する」を押す。久世はようやくケーキの箱を開け、彼女の前へ一つ置いた。
「今日の分は?」
「これは、同僚だった二人の最後の食事です」
「では、土曜日は?」
「名前は、そのとき二人で決めましょう」
会社を出ると、久世は段ボール箱を当然のように持った。佳澄は取り返さず、空いた彼の左手へ自分の手を滑り込ませる。驚いた指が、すぐに握り返した。
駅前で別れたあと、佳澄は連絡先を開いた。「久世さん(経理)」の文字から括弧書きを消し、少し迷って「直央さん」と打ち直す。
送別会は苦手だと言った彼の意味を、ようやく知った。
別れるつもりのない人は、送別会を開かないのだ。