一日分のプロポーズ
恋人の名を呼ぶと、呼んだ側の寿命が一日減る。家族になれば「夫」「妻」で済むが、婚姻届の受理には、窓口で互いの名を一度ずつ呼ばなければならない。
早岐俊弥と越智野羽衣は五年付き合い、ずっと「ねえ」と「そっち」で暮らしてきた。冷蔵庫のプリンにも、歯ブラシにも、名前の代わりに丸と三角のシールを貼った。
俊弥の寿命通知が届いたのは、同棲四年目の冬だった。残り三十二日。通知書は本人以外に見せなくてよい。俊弥は三角の封筒に入れ、工具箱の底へ隠した。以後、目覚ましを止めるたび残りを数えた。羽衣が寝言で彼を「ねえ」と呼ぶたび、名前でなくてよかったと思い、その安心を恥じた。
その晩、羽衣が婚姻届をテーブルに広げた。
「来月の二日に出そう。大安だって」
「窓口で一日ずつ減る」
「五年で一日なら安いよ」
羽衣は指輪のカタログを閉じ、代わりに百円ショップの合鍵へ丸いシールを貼った。高いものは要らない、同じ玄関を出入りできればいい、と前から言っていた。
俊弥は、三十一日になる、と言えなかった。結婚を断り続けるうち、羽衣は自分が惜しまれているのではなく、遠ざけられていると思った。
引っ越し用の段ボールが届いた夜、彼女は丸いシールの食器だけを詰めた。
「最後くらい、名前で呼んで」
俊弥は黙った。呼べば一日減る。呼ばなければ、残り三十二日を一人で使うことになる。
彼は工具箱から通知書を出した。羽衣は数字を見ても泣かなかった。婚姻届を裏返し、ボールペンで三十二個の小さな四角を描いた。
「一日一回。最後まで使い切ろう」
「君の寿命まで減る」
「私が呼ぶ日は、私が払う」
翌朝、二人は区役所へ行った。窓口係が砂時計を返し、合図をした。
「羽衣」
「俊弥」
砂が一粒ずつ、左右の受け皿へ落ちた。届は受理された。
帰宅すると、羽衣は薬入れを食卓に置いた。七つの蓋に曜日が書かれた安いケースだった。中には薬ではなく、三十個の青いガラス玉が分けて入っている。
最初の二つの区画だけが空で、代わりに婚姻届の控えと、丸と三角のシールを重ねた小さな合鍵が入っていた。