三人家族の家まで

 杠葉恭平がその老女を乗せたのは、終電後の無人駅だった。

 黒い着物に小さな旅行鞄。行き先を尋ねると、老女は住所ではなく言った。

「三人家族の家までお願いします」

「どちらのお宅ですか」

「いちばん近いところで結構です」

 恭平は困った。

 老女はダッシュボードの家族写真を見つけた。恭平と妻、小学生の娘が海辺で笑っている。

「運転手さんのお宅が、ちょうど三人ですね」

「客を自宅へ連れていくわけにはいきません」

「料金は一人分、先に払います」

 老女は古い銀貨を料金受けへ置いた。

 その瞬間、操作していないナビが恭平の自宅を目的地に設定した。

 解除しても、すぐ同じ住所へ戻る。

 車を停めようとするとアクセルが軽く沈み、見慣れた帰宅路へ曲がった。

「妻と娘が寝ています。迷惑です」

「二人なら、ちょうどいい」

「僕を入れて三人です」

 老女は窓へ映る恭平を見て、静かに笑った。

「着くまではね」

 自宅前に止まると、玄関の灯りがついた。

 妻と娘が飛び出し、老女へ駆け寄った。

「お母さん、遅かったね」

「おばあちゃん、おかえり」

 妻の母は、娘が生まれる前に亡くなっている。

 恭平が車を降りても、二人は彼を見なかった。

 肩へ触れようとすると、指が薄い煙のようにすり抜ける。

 老女は家へ入る前に振り返った。

「三人家族の家へ、確かに届けていただきました」

 居間の壁にある家族写真が見えた。

 写っているのは妻、娘、老女の三人。恭平が立っていた場所には、最初から誰もいなかったように海だけが広がっている。

 背後でタクシーのドアが閉まった。

 運転席には、知らない男が座っていた。恭平と同じ制服を着て、同じ免許証を掲げている。車体の個人名だけが、その男の名へ変わっていた。

「お客さん、行き先は?」

 気づくと恭平は後部座席にいた。

 ドアは内側から開かない。

 口を閉じようとしたが、言葉が勝手に出た。

「三人家族の家まで」

 男はナビを見て首をかしげた。

「住所をお願いします」

 画面には、男の自宅らしい場所が自動で表示されていた。

 家族写真のアイコンには、男と妻と幼い息子が並んでいる。

 恭平の膝の上には、さっきの銀貨が一枚あった。

「料金は一人分、先に払います」

 自分の声が、老女と同じ調子でそう言った。