三回点滅は愛ではない

昭和四十八年、杵築汐梨は岬の灯台で父を手伝っていた。

月に一度、貨物船〈北辰丸〉が沖を通った。

甲板には青砥雨路という若い通信士がいた。嵐で船が入江へ避難した夜、彼は灯台へ礼を言いに来た。

「次に通るとき、三回光らせます」

「私に?」

「灯台に」

それでも汐梨は、自分への約束だと思った。

翌月、北辰丸は夜の海から三回点滅した。

汐梨も手灯を三回振った。

それから三年間、船が通るたび同じ合図を交わした。

雨路が上陸したのは、その後二度だけだった。

一度は父へ煙草を届け、もう一度は壊れた無線機を直した。

汐梨には町の映画館や、冬の林檎や、読んだ小説の話をした。

別れ際には必ず「また光らせます」と言った。

汐梨は手紙を書いたが、出さなかった。

船の住所が分からなかったからではない。

三回の光がある限り、返事を聞かずに好きでいられたからだ。

灯台が自動化されることになった年、北辰丸も航路を外れると聞いた。

最後の寄港日、雨路は三十歳になっていた。

「ずっと、私に合図をくれていたんですよね」

汐梨は訊いた。

雨路は少し困った顔をした。

「三回点滅は、入港前の定時信号です。岬の灯台へ、異常なしと伝える」

「誰が当直でも?」

「はい」

汐梨は笑った。

三年間、自分だけへ届いていると思っていた光は、航路規則の一行だった。

「でも、手灯の返事は見ていました」

雨路が続ける。

「いつも助かりました。あれが見えると、帰ってきた気がした」

「帰る場所?」

「目印です」

目印と、待っている人は違う。

汐梨はその差を、初めて正しく知った。

「私、あなたが好きでした」

雨路は帽子を取り、深く頭を下げた。

「ありがとうございます。でも、同じ気持ちだとは言えません」

優しい嘘をつかなかったことが、最後の贈り物だった。

夜、北辰丸が沖へ出た。

汐梨はもう手灯を持たなかった。

船から三回、白い光が届く。

父が訊いた。

「返さないのか」

「今日は当直じゃないから」

自動灯台が、規則どおり三回の応答を返した。

人の手より正確で、少しも迷わない光だった。

汐梨は暗い窓辺で、出せなかった手紙を破った。

恋は相手へ届かなかった。

それでも三年間、同じ海を見ていた夜まで間違いだったとは思わなかった。

北辰丸の灯が水平線から消えたあと、彼女は初めて、自分のために灯台の明かりを消した。