予備ボンベの所有者
鳴海は、自分の酸素マスクを着ける前に、壁際の巨大ボンベへ名札を掛けた。
蓬田と鷺沢が同時に振り向く。
「それは設備だぞ」
「今まではな」
三人の前には、それぞれ名前入りの小型ボンベが置かれていた。残量はどれも十リットル。背後の銀色の大型ボンベだけが、配管で天井へつながれ、札差しを空のまま揺らしている。
スピーカーが規則を読み上げた。
《十分後、酸素が最も多く残ったボンベの所有者一名を勝者とする》
蓬田は笑い、割り当てられたマスクを装着した。鷺沢も続く。大型ボンベは監視室へ空気を送る予備設備で、参加者用ではない。そう思うのが普通だった。
鳴海は自分の首から参加証を外し、空の札差しへ差し込んでいた。表には顔写真、裏には《所有者証明》の文字。小型ボンベにも同じ形の札差しがある。
「参加者用以外を選んでいいとは言ってない」と鷺沢が言う。
「選ぶとも言っていない」
鳴海は床に座り、自分の小型ボンベから普通に呼吸した。
十分後、三本の小型ボンベはほぼ同時に空になった。銀色の大型ボンベは、監視室の一人が吸った程度では九十八パーセントを保っている。
判定灯が鳴海の参加証を読み取った。
《最大残量ボンベ所有者、鳴海。勝者》
主催者の声が荒れた。
「そのボンベは運営所有だ!」
「だったら、なぜ所有者欄を空けた?」
鳴海は札差しを指で弾いた。規則が問うたのは、誰に配られたかではなく、判定時点で誰が所有しているかだった。運営は設備を人間扱いせず、所有権も固定だと思い込んだ。
大型ボンベの配管が自動で切り替わり、鳴海の出口だけが開く。
入室時、係員は参加証について『身につける義務はありません。所有物の識別に使います』と説明していた。蓬田たちは首輪のように掛けたまま聞き流したが、鳴海だけは札差しの形が全ボンベで共通だと見ていた。大型ボンベを奪ったのではない。空白だった所有者情報を、規則どおり埋めただけだった。
監視室の向こうで、誰かが慌てて予備マスクを探す音がした。