予報外の土曜日
「雨なら迎えに行く」
仁尾玄は、冬木蛍へいつもそう言った。
蛍の職場は駅から遠く、雨の日だけ自転車が使えない。玄は気象会社の予報担当で、降水確率が上がると誰より早く連絡をくれた。退勤時刻には大きな傘を持って現れ、駅までの十五分を隣で歩く。
晴れた日は会わない。誘う理由がなくなるからだ。雨の帰り道には、玄が新しい店を見つけ、蛍が次に食べたいものを話した。それでも実際に行く約束は、いつも天気が回復すると消えた。
蛍は何度も、天気に関係なく会いたいと思った。けれど玄が来月から夜勤へ移ると知っても、言えなかった。雨の日の親切まで恋だと決めつけて、違っていたら、予報より痛い外れ方をする。
夜勤前最後の金曜。朝は快晴だったのに、夕方になって急な雨が落ちてきた。蛍は窓を打つ音を聞いた瞬間、嬉しいと思った自分を少し嫌いになった。
《入口にいる》
蛍が外へ出ると、玄は見慣れた灰色の傘を差していた。
「最後まで当てるね」
「これは外した」
「降るって分からなかったの?」
「分かってたら、もっと早く来た」
駅へ向かう途中、玄の肩が濡れていることに気づき、蛍は傘の柄へ手を添えた。二人の手が重なる。いつもならすぐ離すのに、玄はそのまま歩いた。
改札前で、彼が封筒を差し出した。
中には土曜日の水族館のチケットが二枚。日付は翌週で、週間予報には晴れの印がついている。さらにスマホの予定表には、翌月まで隔週土曜に《蛍》とだけ入力されていた。
「雨、降らないよ」
「知ってる」
玄は傘を閉じたが、柄に重ねた蛍の手は離さなかった。
蛍は予定への招待をすべて承諾し、最初の件名を《蛍と玄の土曜日》へ直す。次に連絡先の《仁尾さん》を《玄》へ変えた。
「夜勤でも会える?」
「そのために土曜を空けた」
蛍は彼の指を握り直す。
「じゃあ次から、晴れても迎えに来て」
玄が笑う。雨なら迎えに行く、と何度も届いた言葉は、その夜から天気の条件を失った。
予報外だったのは雨ではなく、晴れた日の約束だった。