事故の向こうの改札
白環線の脱線事故は、世界を二つに分けた。
エッダの世界ではロークが死に、ロークの世界ではエッダが死んだ。
事故から一年後、午後六時二十三分になると、廃駅の改札に存在しない向こう側が映った。
「エッダ?」
「ローク?」
二人は同時に硝子へ触れた。
掌は重なったが、冷たさしか伝わらなかった。
窓が開いているのは七十三秒だけだった。
一年目、二人は生きていることを確かめるだけで時間を使った。
二年目、エッダは転職したと話し、ロークは新しい部屋の窓から海が見えると言った。
三年目、互いに「元気だ」と嘘をついた。
四年目、会えない一年を、この七十三秒のためだけに生きていると認めた。
五年目、ロークの左手に指輪があった。
エッダが気づくと、彼は隠さなかった。
「結婚するの?」
「来月」
「おめでとう」
「怒っていい」
「私の世界では、あなたは五年前に死んでる。怒る相手がいないよ」
笑った声が途中で崩れた。
ロークは硝子へ額を寄せた。
「断ろうと思った。今日、君に会ってから決めようと」
「私を理由にしないで」
「でも、愛してる」
「私も愛してる。だから今日で終わりにしよう」
残り四十秒。
この窓がある限り、二人は死者を待たずに済む代わりに、生きている誰かのところへも進めなかった。エッダも恋を断り、ロークも未来を保留にしてきた。
「来年、駅へ来ないで」
「君は?」
「来ない」
「嘘だ」
「じゃあ、来ても硝子を見ない」
残り二十秒。
二人は事故の日に言えなかった別れを、違う世界から交わした。
「幸せになって」
「その台詞、嫌いだ」
「私も」
「忘れない」
「忘れてもいいよ」
「それは無理だ」
残り三秒。
硝子の向こうで、ロークが笑った。
事故の朝と同じ笑顔だった。
窓が消え、改札にはエッダ一人が映った。
翌年の午後六時二十三分、彼女は駅の前まで来た。
けれど扉を開けず、通り過ぎた。
同じ時刻、別の世界でロークが何をしたかは分からない。
ただ、それ以降、改札の窓は二度と開かなかった。
二人は事故で一度死に、別れによってもう一度失われた。
それでも二度目の別れだけは、自分たちで選んだ未来の側にあった。