二人分の幸福

余吾渉は毎晩、帰宅すると玄関の小さな端末に指を当てる。玖実も隣に並び、その日の幸福度を記録する。数字を見て夕食の話題を決めるのが、同居を始めて二年の習慣だった。二人の平均はいつも八十を超えていた。

婚姻届を出す朝も、渉は癖で測った。

渉、八十七。玖実、七十九。

「昨日より上がった」

玖実は笑った。父親を亡くしてまだ三週間だった。

市役所の受付は無人で、婚姻届の上に二人の手首を並べるよう指示が出た。この国では、婚姻成立時の相互幸福度が八十以上でなければ受理されない。生活破綻を未然に防ぐための、一つだけの条件だった。

青い光が渉をなぞり、次に玖実をなぞった。

《申請者A:八十九。申請者B:七十九。婚姻不成立》

玖実が唇をかんだ。

「もう一回だけ」

二人は廊下のベンチに座った。向かいの記念撮影用モニターでは、基準を超えた夫婦の笑顔が次々に流れていた。渉は旅行の話をした。初めて会った喫茶店、焦がしたカレー、雨漏りした部屋。玖実は笑うたびに端末を見た。七十八、七十九、七十七。

自動販売機で甘いココアを一本買い、二人で回し飲みした。玖実の唇に泡がつき、渉が指で拭う。その一瞬だけ八十になったが、測定台へ戻る途中でまた七十九になった。

「お父さんのこと、今だけ考えないで」

言った瞬間、渉の幸福度が八十二に下がった。

玖実はうなずき、目を閉じた。深く息を吸い、作り物の笑顔で手首を置いた。

《申請者A:八十四。申請者B:八十》

二人は顔を見合わせた。渉が届を差し込む前に、画面が黄色く点滅した。

《例外判定:申請者Bの幸福は婚姻対象者に由来しません》

続けて、推薦欄が開く。

《死別回復プログラムを優先してください。申請者Aには代替適合者四名がいます》

玖実は笑顔のまま泣き始めた。数値は八十一に上がった。父を思い出しているからだ。

渉は婚姻届を抜き取った。

「今日じゃなくていい」

「でも、八十になったよ」

「君の八十を、俺の手柄にされたくない」

二人は役所を出た。紙は渉の掌で汗を吸い、少しだけ温かくなっていた。