二人分の郵便受け
石垣野満代は、夫を亡くしてから二階の部屋を使わなくなった。
鳥居堂彗は、勤めていた食堂が閉まり、住み込みの部屋も同時になくした。
町内会長が二人を引き合わせ、彗は「次が決まるまで」という約束で満代の家へ越してきた。
最初の一か月、彗は玄関で「失礼します」と言った。
帰宅したときも、風呂を借りるときも、台所へ入るときも。
「毎日、客みたいだね」
満代が言うと、
「借りてる側なので」
と彗は背筋を伸ばした。
彗は家賃を払い、庭の草を取り、重い米袋を運んだ。
満代は夕飯を二人分作ったが、「ついでだから」と言った。煮物が余れば彗の皿へ多く載せ、彗が洗い物をすれば「水道代の元を取ってる」と言った。
互いに親切を借りにしない言い訳ばかり上手になった。
ある日、郵便受けの蓋が外れた。
彗が新しい木箱を作り、玄関脇へ取りつけた。表札を書く段になって、手が止まる。
「石垣野だけでいいですよね」
「郵便屋さん、あんたの手紙を迷うよ」
「でも家族じゃないし」
「郵便受けは戸籍を調べないでしょう」
満代は小さな木札を二枚用意した。
〈石垣野〉
〈鳥居堂〉
上下ではなく、横へ並べる。
彗は少し照れた顔で、二枚とも釘で留めた。
その晩、満代は炊き込みごはんを作った。
油揚げ、牛蒡、人参。蓋を開けると、醤油と茸の湯気が立つ。
彗は茶碗を受け取り、
「ただいま、って言ってもいいですか」
と急に訊いた。
「許可を取るものなの?」
「今まで失礼しますだったので」
「失礼されてたのかねえ」
満代は笑った。
翌日から、彗は玄関で「ただいま」と言うようになった。
満代は台所から「おかえり」と返す。聞こえない日もあるので、彗は少し大きな声で言った。
半年後、彗は町の弁当屋で働き始めた。
住み込みではなかったので、二階の部屋から通った。
「次が決まるまで、って話でしたね」
彗が言うと、満代は新しい郵便受けを指した。
「釘を抜くと跡が残るよ」
「では、しばらく」
「しばらくで十分」
夕方、郵便受けへ二人分の封筒が入る。
玄関には炊いた牛蒡と番茶の香りが残り、横並びの木札が西日で同じ色に温まっていた。