二十二時の海苔弁当
環が海苔弁当を選んだのは、学生のころ以来だった。
白身魚のフライ、ちくわの磯辺揚げ、きんぴら。茶色いおかずがきっちり並んだ容器を持つと、急に腹が減っていることに気づいた。レジ横の新商品より、今日は見慣れたものがよかった。
午後十時過ぎの店内には、仕事帰りらしい人が何人もいた。皆、黙って棚を見ている。環は自分だけが生活をうまく回せていないように思っていたが、半額シールの弁当に伸びる手が重なるのを見て、少しだけ考え直した。
部屋に帰り、ジャケットを椅子にかける。袖が床に触れたが直さなかった。転職サイトから届いた「あなたにおすすめの求人」は未読のまま六通。今の会社を辞めたいのか、ただ今週がしんどいだけなのか、自分でも分からない。
海苔弁当のふたを外すと、ソースの小袋が箸の下に挟まっていた。歯で切ろうとして失敗し、はさみを取りに立つ。その途中で鏡に映った顔が目に入り、環は思わず足を止めた。眉間に力が入っている。誰も見ていない部屋でまで、会議中の顔をしていた。
ソースをかけ、白身魚を一口食べる。衣は少ししんなりしていた。けれど海苔の下の醤油味のご飯は、記憶よりおいしかった。高校の部活帰り、駅前で母に買ってもらった弁当を思い出す。あのころは、疲れたら疲れた顔をしてよかった。
転職サイトを開き、環は一番上の求人を眺めた。福利厚生、想定年収、求める人物像。どの言葉も今夜の自分には遠い。応募ボタンの手前で画面を閉じる。
辞めるか残るかを決めない夜があってもいい。考えられないほど疲れているなら、判断しないことも選択の一つだ。
環は磯辺揚げを最後まで取っておき、冷めたお茶を飲んだ。弁当の底が見えたころ、眉間の力は抜けていた。
今日は海苔弁当を食べきった。それ以上の結論は、明日の自分に任せることにした。
空になった容器の輪ゴムを外し、環は転職サイトの通知だけを一週間停止した。人生を止めたわけではない。考えるための余白を作っただけだ。磯辺揚げの青海苔が指についていて、それを舐めた自分のほうが、求人票よりずっと現実だった。