二十年後の置き手紙
古い集合住宅の宅配箱には、使われていない「20年後」という番号があった。
そこへ手紙を入れると、同じ部屋に二十年後住む人へ届く。返事は、未来の住人が同じ箱へ入れたときだけ戻る。
離婚した女性は、幼い息子とその部屋を出る前夜、未来の住人へ書いた。
「寝室の壁に、子どもの身長線があります。
塗り直す前に、一度だけ写真を撮ってください」
壁を残せないことがつらかった。
夫との家を手放すのは自分で決めたのに、息子の成長まで消すように感じた。
手紙を宅配箱へ入れた。
返事が来るとしても二十年後だと思った。
翌朝、箱の中に封筒がある。
「写真を撮りました。
ただ、線はあなたが思っているより上まで続いています」
未来からの返事だった。
同封された写真には、今ある幼い線の上へ、知らない日付が何本も刻まれている。
最後の線の横には、成人した息子の字で、
「この部屋へ戻った日」
と書かれていた。
女性は混乱した。
息子が二十年後、この部屋へ住むのか。
未来を決められたようで怖くなった。
返事を書く。
「息子は、ここへ戻りたいと思うのでしょうか」
すぐ翌朝、未来から届く。
「戻りたかったのではありません。
売りに出た部屋を偶然見つけ、買える年齢になっていたから買いました。
壁を残したのは、あなたが消さなかったからです」
女性は壁を見た。
退去時には原状回復が必要だ。
管理会社へ相談すると、次の入居者が塗装するので、そのままでよいと言われた。
女性は安堵し、また不安になった。
「未来の息子は、幸せですか」
今度の返事は三日来なかった。
四日目、短い手紙が届く。
「その質問には、息子本人も毎日違う答えを出します。
今日の私は、少し幸せです」
筆跡を見て、女性は気づいた。
未来の住人は息子本人だった。
「お母さんへ」と書かれていないのは、未来を押しつけないためかもしれない。
最後の手紙を書く。
「私は、あなたをこの部屋から連れ出します。
それでよかったですか」
返事は、引っ越し当日の朝に届いた。
「よかった。
あの部屋を出たから、戻るかどうかを自分で選べました。
身長線より、引っ越しの日に二人で食べた駅弁を覚えています」
女性は泣きながら、息子と駅へ向かった。
昼食に同じ駅弁を二つ買う。
息子は魚を残し、女性の箱へ入れた。
二十年後の部屋へ戻るかは、今の子どもには話さなかった。
未来から受け取ったのは予定ではない。
今日離れる選択も、いつか帰る選択も、どちらも家族の時間になれるという、少し先からの置き手紙だった。