代役の星
開演十分前、主演の茉莉が階段で足をひねった。
演劇部最後の公演。客席は満員。舞台袖では大道具が軋み、照明係が秒読みを始めている。
「千景、衣装替えて」
顧問に言われた瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。
千景は三年間、茉莉の代役だった。稽古では同じ台詞を覚え、同じ動線を歩き、本番になると袖から見ていた。茉莉が失敗すればいいと思ったことは、一度もない――と言い切れない自分が、ずっと嫌いだった。
茉莉は床に座り、腫れ始めた足首を押さえていた。
「ごめん」
「謝らないで」
「最後なのに」
「私も最後だから」
口にした声が、思ったより冷たかった。
衣装を受け取り、背中のファスナーを上げてもらう。茉莉が三か月着続けた星柄のドレスは、肩だけ少しきつい。鏡の中には、主役になった自分ではなく、主役の形へ押し込まれた代役がいた。
幕が上がる。
最初の台詞は出た。二つ目も。客席は暗く、誰の顔も見えない。稽古どおりに歩けば、光の中へ入れる。手を伸ばせば相手役がいる。
第二幕、千景は一行だけ言葉を失った。
毎晩繰り返した台詞なのに、頭の中が白くなる。沈黙が伸びた。相手役の目がわずかに揺れる。
そのとき舞台袖から、靴底が床を二度叩く音がした。
茉莉がいつも、千景の出番を知らせる合図だった。
二度、短く。
千景は息を吸った。
「星は、見つけてもらうために光るんじゃない」
台詞が戻る。
「見つけられなくても、そこにいるために光るの」
客席の空気が動いた。千景は最後まで演じ切った。
カーテンコールで拍手を浴びても、勝ったとは思わなかった。幕が閉じたあと、最初に探したのは茉莉だった。
彼女は袖の椅子に座り、泣きながら拍手していた。
「よかった」
「二回、鳴らしたでしょ」
「代役の出番だったから」
「今日は私が主演」
「うん。だから、私が代役」
二人はしばらく睨み合い、それから同時に笑った。
客が帰ったあと、千景はドレスを脱ぎ、茉莉へ返した。茉莉は袖を通さず、二人の間に広げた。
星柄の布の上へ、舞台の埃が降っていた。
最後の部活動で、千景は初めて主役を演じた。
そして同じ日に、誰かの代わりに立つことは、誰かより下にいることではないと知った。