代替テキストに湯気が立つ

妻を亡くしてから、父は朝食を作らなくなった。

私が遠方から電話しても、「パンで済ませた」と言う。けれど写真共有アプリには、空の食卓ばかりが写っていた。父が始めたのは、外国で暮らす孫の写真を見るためだった。

ある日、父は珍しく味噌汁の写真を投稿した。

〈久しぶりに作った〉

コメントが一つついた。

〈画像の説明をつけてもらえますか。私は目が見えませんが、朝ごはんの投稿を読むのが好きです〉

父は困り、私へ電話した。

「写真を説明するって、何を書けばいい」

私は代替テキストの付け方を教えた。

父は一時間かけて書いた。

〈青い椀に、豆腐と細いネギの味噌汁。湯気で奥の窓が少し白い。右に焼きすぎた卵焼きが三切れ。妻が使っていた箸置きは、赤い魚の形〉

投稿後、あの人から返事が来た。

〈湯気が見えました。赤い魚も、食卓に戻ってきた気がします〉

父は次の日も朝食を作った。

塩鮭、焦げたトースト、形の崩れた目玉焼き。写真より説明文のほうが長くなった。

〈今日のリンゴは、皮を一本につなげようとして途中で切れた〉

〈空席の椅子に朝日が当たっている〉

〈二人分作る癖が抜けず、味噌汁が余った〉

目の見えないその人は、料理へ感想を返した。

〈余った味噌汁は、明日の朝がもう用意されているということですね〉

父はその言葉を印刷し、冷蔵庫へ貼った。

半年後、孫が帰国した。父は朝食を並べ、投稿用の写真を撮った。孫が「早く食べよう」と急かすと、父は言った。

「待って。まだ来てない人に説明するから」

代替テキストには、こう書いた。

〈赤い魚の箸置きが二つ。孫の手が卵焼きを一切れ盗もうとしている。空席だった椅子に、今日は誰かが座っている〉

画面の向こうから届いた短い返事を、父は声に出して読んだ。

〈にぎやかですね〉

その後、父は料理だけでなく、庭の霜や、洗濯物の影や、妻の鉢植えから出た新芽まで言葉にした。見えるものを説明するうち、自分も毎日の細部を見直すようになった。

一枚の写真へ説明を添える小さな手間が、見えない誰かを食卓へ招いた。

そしてその誰かが、空いていた父の朝にも、静かに席を作ってくれた。