保護者欄の十三歳
学習アプリ「スコープノート」のデータ提供会議で、橘倉伊織は外部テスト会社の若手検証員として呼ばれた。中学生一万八千六百二人の学習履歴を、進学塾チェーンへ提供する契約だった。
会社は、保護者の同意を得た「学力傾向データ」だと説明した。提供料は二億四千万円。契約書には個人名を含まないとある。
伊織はサンプルファイルを開いた。氏名は消されていたが、学校名、学年、郵便番号、苦手単元、学習時刻が残っている。小規模校なら一人に絞れる。それでも社長は、保護者同意があるから問題ないと言った。
「同意画面が公開されたのは午後二時二十分です」
買い手の受領証は同日午後一時五十八分。二十二分早い。受領ファイルの件数も一万八千六百二件で、後から同意した人数ではない。
社長は、旧版アプリにも同意欄があったと説明した。伊織は旧版の画面記録を投影した。そこにあるのは「学習改善のため社内利用する」への同意だけで、第三者提供の文言はなかった。
さらに同意一覧の保護者メール欄には、生徒本人のアドレスが大量に入っている。一件を開くと、生年月日から利用者は十三歳。保護者署名として表示された電子サインも、生徒が登録時に書いたニックネームの複写だった。
伊織の上司は、検証会社は法的判断をしないと止めた。
「画面が存在した時刻は、法解釈ではありません」
彼女は配信サーバーの電子署名付き記録を机へ置いた。受領証の印影も、二十二分早い時刻も変えられない。
塾側の役員が、親の同意を取り直すまで受領しないと告げた。アプリ会社の代表印は契約欄へ降りなかった。
問い合わせ窓口には、保護者から「塾から学校名と苦手科目を知っている電話が来た」という連絡が三件届いていた。伊織が記録を開くと、電話を受けた時刻は同意画面公開の前。会社は契約締結前から、未成年のデータを営業試験へ使っていた。
保護者欄に書かれた十三歳の名前が、二億四千万円の決裁を大人の同意なしに進ませなかった。