偽物だけが滲む青インク

真夜中の文具店〈眠らぬ鵞鳥〉には、値札の付いた品が一つしかなかった。昼間の客に売れ筋を聞かれても、店主は扉を開けない。文字が嘘をつき始めるのは、たいてい人目の少ない夜だからだ。

青いインクの小瓶である。

店主のバシュラが栓を磨いていると、帳簿係の娘ハリエットが駆け込んだ。彼女は分厚い台帳を抱き、唇を白くしていた。

「明日の朝、私は横領で捕まります」

王立倉庫から消えた金貨は百枚。台帳にはハリエットの署名付きで搬出許可が残されている。だが彼女には書いた覚えがない。上司は筆跡が同じだと言い、弁明を聞かなかった。十年分の帳簿を一度も違えなかった彼女へ、誰も「本当か」とさえ尋ねなかった。

「本物だと証明する道具はない。ただ、偽物を自分から名乗らせるインクならある」

バシュラは小瓶を指した。〈夜藍〉という古いインクだ。本人が書いた文字には乾いて残り、他人が真似た文字に重ねると、偽りだけが水のように滲む。

ハリエットは疑う暇も惜しみ、店の試し紙へ自分の名を書いた。バシュラがその下に筆跡を真似る。どちらも寸分違わない。

彼女が夜藍を細筆に含ませ、二つの署名をなぞった。

自分の名は深い青のまま。バシュラの名だけが、雨に打たれたように崩れた。

次に台帳の署名をなぞる。最初の一画から、文字が震えた。青い滴は紙面を這い、署名の下に隠されていた別人の魔力紋を浮かび上がらせる。倉庫長の紋だった。さらに搬出量の数字だけが崩れ、その下から本来の「零」が現れる。百枚は、最初から運び出されていなかったのだ。

ハリエットは椅子に座り込んだ。泣かなかった。代わりに台帳を閉じ、背筋を伸ばす。

「小瓶はいくらですか」

「銀貨五枚」

「十枚置きます。半分は、この店の証明書代です」

「証明書?」

「夜藍が正しく働くと、店主の署名入りで一文ください。明朝、監査官の前で読み上げます」

バシュラが書くと、彼女はそれも夜藍でなぞった。文字は滲まない。初めて小さく笑い、台帳と瓶を抱えて店を出た。

扉が閉じたあと、バシュラは空いた棚へ「売切」と札を置いた。

すると、裏の在庫を出すより先に、真鍮のベルがちりんと鳴った。