冷凍庫の七番棚

 冷凍庫の七番棚から、古在弥生の試料だけが消えた。

「また管理ミスか」

 主任研究員の砂子田貴文は、空の箱を持ち上げて研究室じゅうに見せた。

「学会発表は外れてもらう。再現できないデータを出されると、研究室の信用に関わる」

 弥生はラベル番号を読み上げた。前夜、電子ノートへ登録し、棚へ入れた時刻も書いてある。

「記録なんて後から直せる」

 砂子田は彼女の発表資料を自分のフォルダへ移し、表紙の氏名を消した。翌月の共同研究会では、自分が候補物質を発見したことにするらしい。

 研究室の窓には朝の結露が残っていた。弥生は廃液容器を交換し、消えた試料と同じ条件で、残っている細胞を一から育て直した。発表枠を外されても、電子ノートだけは一行ずつ埋めた。失敗の理由まで残すのが、実験だと教わっていたからだ。

 弥生は反論せず、空箱を元の位置へ戻した。

 三日後、大学の知財部が研究室へ来た。候補物質に特許性があるため、発明者確認を行うという。砂子田は白衣の襟を整え、着想から検証まで自分が指示したと話した。

「試料の紛失も、部下の未熟さが原因です」

 知財担当者は、助成金の監査用に設置された冷凍庫の履歴を開いた。棚ごとに付いた無線タグは、箱が動くたび記録を残す。

 前夜十一時四十八分、七番棚の箱は砂子田の職員証で取り出され、別棟の廃棄待ち冷凍庫へ移されていた。翌朝、彼はその箱を廃棄申請している。

「彼女に整理を頼まれたんです」

 弥生は首を横に振った。

 担当者は次に電子実験ノートを表示した。記録は時刻認証され、修正前の内容も保存される。候補物質の構造、失敗した配合、成功条件まで、三か月前から弥生の署名で積み上がっていた。砂子田の最初の閲覧は、学会要旨提出の前日だった。

 最後に、発明届の原本が机へ置かれた。砂子田が書き換えた紙ではなく、システムが自動作成したものだ。

 知財部長は発明者欄を指で押さえ、研究科長へ向き直った。

「登録する発明者は、古在弥生さん一名です」