冷気の向こうの一箱
医薬品倉庫の夜は、音が少ない。冷蔵庫の圧縮機と、ラベルプリンターの紙を吐く音だけが続く。
午前二時、榊原透子は病院向けの箱をドックへ運んでいた。出荷直前、箱の側面に貼られた温度ロガーが赤く点滅した。規定外を示す色だった。
「冷蔵庫が落ちたか?」
管理者が顔色を変える。中身は手術で使う薬剤。代替はなく、朝一番の便を逃せば手術予定にも影響する。電話口の病院担当者は急かさなかった。その静かな声が、かえって倉庫の全員を焦らせた。
透子は冷蔵庫の記録を見た。室温は一晩中一定。ほかの箱のロガーも正常だった。問題は一箱だけで、同じロットの薬剤は三箱ある。
「壊れたロガーなら交換して出そう」
「まだ出せません」
彼女は三箱の梱包時刻を並べた。赤い箱だけ、作業開始から封をするまで二十七分かかっている。ほかは九分前後。箱を作った新人に聞くと、緩衝材が足りず、資材庫へ取りに行ったという。
「その間、箱はどこに?」
「前室です。冷蔵庫には戻してません」
冷蔵庫の扉とドックの間にある前室は、人には寒いが薬剤には暖かい。温度逸脱は機械故障ではなく、梱包途中の置きっぱなしだった。
管理者は「同じロットの別箱と入れ替えろ」と言った。透子は首を振る。ロットが同じでも、箱ごとの履歴は別だ。赤い箱を隔離し、正常な二箱から必要数を組み直す。その前に、封を切った時刻、取り出した本数、残った本数を二人で読み上げて記録した。
さらに彼女は、資材を冷蔵庫の横へ運ばせた。
「次から不足に気づいても、薬を外へ置いたまま取りに行かない。箱ごと戻す。戻せないなら、別の人が資材を取る」
新人は何度もうなずいた。責められると思っていた顔が、少しだけ上がった。
出荷五分前、正常な箱のロガーは緑のままだった。運転手が受領印を押し、保冷車の扉を閉める。透子は赤い箱に隔離票を貼った。
そのとき、別の病院から緊急出荷の電話が入った。必要なのは、いま隔離したものと同じ薬剤だった。
透子は残数表を引き寄せ、冷蔵庫の奥を見た。夜はまだ、選び直す仕事を残していた。