冷蔵庫の境界線

冷蔵庫の棚を三等分していた赤、青、黄色のテープを、小此木真昼は端から剥がした。粘着剤の跡だけが、薄い国境のように残る。

「そのジャム、誰の?」

祝田蓮司が、賞味期限の切れた瓶を持ち上げた。

「共有じゃなかった?」

片瀬乃愛が言う。

「共有なんて棚、作ってない」

最後の夜まで同じ会話だ、と真昼は思った。牛乳が減った、卵に名前を書け、電気代を払え。三人が別々の家庭で覚えた正しさは、幅六十センチの冷蔵庫の中でも折り合わなかった。

真昼は四月から出版社の社員寮へ入る。蓮司は叔父の惣菜店を継ぐため、商店街へ戻る。乃愛は大学を休学し、海沿いの実家でしばらく眠るという。

「店やるなら、そのジャム使えば」

乃愛が言った。

「客に期限切れを出せるか」

「私たちには出してたくせに」

蓮司の顔が固まった。冬、彼は売れ残りのコロッケを何度も持ち帰った。乃愛は礼を言わず、朝には皿だけ洗ってあった。

「乃愛さ」

真昼は黄色いテープを丸めながら言った。

「私のパン、食べてたよね」

沈黙のあと、乃愛は冷凍庫を開けた。奥から食パンの耳を詰めた袋が出てくる。

「捨てるやつだけ」

「聞けばよかったのに」

「聞いたら、もらったことになるから」

休学届を出した頃、乃愛の口座には二百円しかなかったらしい。真昼も蓮司も、それを知らずに「ルールを守れ」と言った。乃愛は謝らなかった。二人も謝れなかった。善意を差し出せなかった側と、受け取れなかった側のどちらが悪いか、最後の夜に決めても役には立たない。

蓮司はジャムの蓋を開け、匂いを嗅いだ。

「煮直せば、たぶん食える」

「そういう問題?」

「食えるかどうか以外、今さら何がある」

三人で、残ったパンの耳にジャムを塗った。甘さのあとに、金属みたいな酸味が来た。

片づけが終わると、真昼は三色のテープをゴミ袋へ捨てた。冷蔵庫の最下段には、誰も引き取らなかったジャム瓶が一つだけ残った。境界線がなくなって初めて、それが三人のものだったように見えた。