十二膳目の茶碗
樽見弦の家では、法事の夜だけ十一人で食卓を囲む。実際の親族は十人だが、祖父は毎回、空席へ箸と湯呑みを置いた。二十四歳の弦は、それを先祖供養の形だと思っていた。
祖父の死後、台所から料理帳が見つかった。献立の頁より先に、赤い字で禁忌がある。
《欠けた茶碗に、白飯をよそってはいけない》
茶碗は食器棚の奥に一つだけあった。縁が三日月形に欠け、底には「長男」と書かれている。家系図では祖父が長男で、その上に兄はいない。叔母は「いなかったことになった人の器」と言い、詳しく話さなかった。
法事帳を遡ると、欠けた茶碗を使った年だけ参列者数が一人ずつ増えていた。帳面の余白には、その年の長男が翌朝から自分の部屋へ入れなくなったという短い記録もあった。名前欄には誰もいないのに、米の購入量と香典返しは確かに一人分多い。翌年には、実在する長男の名が一つ消えていた。
四十九日の夜、親族が一人増えた。従兄が婚約者を連れてきたため、用意した茶碗が足りない。弦はコンビニで紙椀を買おうとしたが、祖母は空席の分を減らしてはいけないと言う。
食器棚の奥には、あの欠けた茶碗があった。迷信で客を待たせる方が失礼だ。食後に洗って戻せば分からない。弦は一度だけ、その茶碗へ炊きたての白飯をよそった。
湯気が立った瞬間、空席の座布団が沈んだ。親族は誰も気づかず、十一人分の会話を続けた。弦だけが、飯粒を噛む湿った音をすぐ隣で聞いた。
翌朝、スマート炊飯器のアプリに見慣れない履歴が残っていた。
《午前2:13 十二膳目を保温しました》
《受取人:樽見家長男》
弦は次男で、兄はいない。履歴を削除すると、家族設定の続柄が更新された。父は「次男」、叔父は「三男」、弦は「四男」になっている。最上段の長男だけ、顔写真が読み込めなかった。
出勤前、弦の弁当箱が見当たらなかった。代わりに食器棚の奥から通知音がした。
欠けた茶碗の中に、弦の社員証が立ててある。炊飯器アプリの画面には、白い湯気のアイコンと一行が表示されていた。
《樽見弦さんの一膳を、長男が受け取りました》