印のない卒業証書
恋を終えた人のために卒業式を請け負う会社で、御厨契は毎週、知らない恋へ判を押していた。
式は二十分。思い出の品を返し、未練を読み上げ、最後に司会者が「以上をもって、この恋からの卒業を認めます」と宣言する。泣く人も笑う人もいたが、帰る頃には皆、少しだけ軽い顔になった。
三月最後の予約表に、蘇我小夜子の名を見つけるまでは。
七年前、契は海外赴任を理由に彼女と別れた。別れようとも、待ってほしいとも言えず、「落ち着いたら連絡する」とだけ残した。落ち着く日は来なかった。帰国しても連絡しなかった。いまさら声を聞けば、過ぎた時間の全部が言い訳になると思った。
式場へ現れた小夜子は、昔と同じように左の耳だけ髪をかけていた。
「担当、替えてもらう?」
「いい。あなたに卒業させてほしくて予約したから」
「結婚するんだって?」
「来月ね。とても優しい人」
祭壇には、二人で買った欠けたマグカップが置かれた。小夜子は式次第どおり、それを箱へ納めた。
「この恋で学んだことを述べてください」
契が読む。
小夜子は少し考えた。
「待つことと、待たせることは、同じ時間じゃない」
契の指が台本の上で止まった。
最後の問いが来た。
「あなたは本日、この恋を卒業しますか」
「はい」
小夜子の返事は、ためらいなく式場に響いた。
あとは契が宣言し、証書へ朱印を押すだけだった。
けれど、言葉が出ない。
卒業を認めます。その一文を口にすれば、自分だけが七年前に取り残される気がした。
長い沈黙のあと、小夜子が笑った。
「最後まで、肝心なことを言わないんだね」
「ごめん」
「それは肝心なことじゃないよ」
彼女は印のない卒業証書を受け取り、丁寧に鞄へしまった。
扉の前で一度だけ振り返る。
「契は、私から卒業できた?」
司会者は式の途中で私語をしてはいけない。そんな決まりを、彼は盾のように抱えた。
小夜子は答えを待たずに出ていった。
誰もいなくなってから、契は朱印を持ち上げた。
赤い四角の中に「卒業」と彫られている。
押す場所は、もうどこにもなかった。
その春も彼は、何十人もの恋に卒業を告げた。
ただ一つ、自分たちの恋だけを、最後まで卒業させられないまま。