古い配送車
野々宮佐知子は、環の父が乗ってきた古い配送車を見て、玄関先で笑った。
「まあ、本当に運送屋さんなのね。近所の目があるから、次は裏口に停めてもらえる?」
環の父、千種壮一は作業着の帽子を取り、「失礼しました」と頭を下げた。荷台には、娘の好きな故郷の梨が積んであった。その車は創業時に使った一号車を自分で整備したもので、壮一は大事な届け物ほど自ら運ぶ。環には懐かしい車だったが、佐知子には錆びた商用車にしか見えなかった。
佐知子は一箱だけ受け取ると、残りを環に運ばせた。
その夜、夫の圭吾は浮かない顔で帰宅した。勤める食品会社が配送網を失い、大口契約が白紙になりかけているという。
「千種ロジスティクスと契約できれば助かるんだけど、会長は滅多に人に会わないらしい」
翌朝、佐知子は急に環へ愛想よく言った。
「あなたのお父さん、運送業界に知り合いくらいいないの? 圭吾のために頭を下げてもらいなさい」
環は一度だけ父に電話した。
午後、圭吾の会社の役員たちが野々宮家へ押しかけてきた。社長までいる。契約が決まれば倒産寸前の地方工場も残せるため、誰もが緊張していた。圭吾は環にだけ、「無理を頼んでごめん」と小さく頭を下げた。環は夫が父の正体を知らず、ただ一人の取引先として礼を尽くしたことに、少し救われた。佐知子は慌てて高級茶を出し、環には台所に下がるよう目配せした。
やがて、朝と同じ古い配送車が門前に停まった。
「また梨?」
佐知子が眉をひそめた瞬間、社長が椅子を蹴るように立ち上がった。
「千種会長!」
作業着の壮一が入ってくると、役員全員が深く頭を下げた。国内最大の物流網を持ち、港湾と航空貨物まで束ねる千種グループ。その創業者が、環の父だった。
壮一は娘に梨の小箱を渡してから、契約書を机に置いた。
「環が、夫の会社は真面目だと言うので来ました。ただし、ひとつ確認があります」
佐知子は急に笑顔を作った。
「もちろんですわ。私どもは家族で――」
壮一は彼女を見ず、圭吾に尋ねた。
「娘を裏口扱いする家と、千種グループは家族ぐるみの取引をするべきでしょうか」
圭吾が環の隣に立った。
社長は契約書の最終承認欄を示した。
そこにはすでに、決裁者として「千種環」の名が印字されていた。