合鍵は形見ではない

砥上茅映の掌には、二本の鍵があった。

一本は、亡くなった母の家の合鍵。もう一本は、母が持っていた茅映の部屋の合鍵だった。遺品を整理した父が、青い封筒に入れて送ってきた。

父から電話が来た。

「お母さんの家の鍵は、お前が持っていなさい。いつでも戻れるように」

家は来月、人に貸すことが決まっている。父の言う「戻る」は住所の話ではなかった。母が勝手に開けた冷蔵庫、畳んで置いた洗濯物、合鍵で入ったあとに届く「散らかっていたよ」という短い連絡。鍵はいつでも、母が娘の暮らしへ入る許可だった。

茅映は母に鍵を返してほしいと二度頼んだ。母はそのたび「使わないから同じでしょう」と笑い、赤いキーホルダーを鞄の奥へしまった。使わないことと、持っていないことの違いを、母は最後まで認めなかった。

青い封筒には父の字で〈大切に〉と書いてある。二本の鍵のどちらを指すのか分からず、茅映はその文字ごと封筒を裏返した。

「二本とも返すね」

「自分の家の鍵まで?」

「これは私の鍵。もう使う人はいないから、管理会社に処分を頼む」

父は、母のものを捨てるように聞こえると言った。

茅映は青い封筒を閉じた。母を捨てるのではない。母が持っていた権限を、死後も形見として受け継がないだけだ。

「お父さんにも、新しい合鍵は渡さない」

電話の向こうで息をのむ音がした。

「何かあったらどうする」

「緊急連絡先は別に決める。訪ねるときは連絡して」

父は不満そうに「家族なのに」と言った。茅映は、家族だからこそ鍵を持つのではなく、家族でも扉の前で待つことがあると返した。

翌朝、母の家の鍵は不動産会社へ、茅映の部屋の鍵は管理会社へ送った。それぞれ別の封筒にし、追跡番号も別々に控えた。

父には到着予定だけを伝えた。

机の上から金属音が消えると、部屋は思ったより静かだった。茅映は玄関へ行き、内側の鍵を一度回した。閉じた扉の向こうにも父はいる。けれど開ける時刻は、これから茅映が決める。