名前のない王

犬飼バクが照準を合わせるまで、玉座の影には名前もHPもなかった。

《命名戦闘システム》

名前を与えた対象だけが、戦闘対象になります。

《終焉王》で登録しろ!」

攻略長の命令に、仲間たちが一斉に音声入力する。影の頭上へ《終焉王 Lv999》が現れ、黒い鎧と大剣が形を取った。赤い敵性枠が開き、王は咆哮する。

バクだけは入力しなかった。

戦うほど敵は強くなる。誰かが《不死王》と呼べば再生能力を得て、《災厄》と呼べば炎を吐いた。プレイヤーが恐ろしい名を足すたび、影はその通りの怪物になっていく。

バクは玉座の脇に落ちた無銘の冠を拾った。

《名なき者の冠》

所有者は、自分の名を一度だけ選べる。

「お前、本当は何て呼ばれたい」

仲間が罵声を浴びせる。王は剣を振り上げたまま、わずかに動きを止めた。

「我に、選ぶ権利はない」

初めて敵の台詞が攻撃予告ではなく響いた。

「今ある名前は、俺たちがつけた。なら全部、返す」

バクは照準を外し、《終焉王》の登録を解除した。HPバーが消え、鎧が霧になる。仲間の攻撃は対象を失い、空を切った。

冠を差し出す。影は震える指で触れた。

「イレヴ」

小さな名が表示される。レベルも属性も敵性枠もない。ただ《イレヴ》とだけある。

攻略長が再び《魔王》と命名しようとしたが、入力欄は拒否された。名を持った者へ、他人が役割を上書きできなくなったのだ。

イレヴは玉座を降り、扉を開けた。その向こうには魔王の財宝ではなく、これまでプレイヤーが名づけて倒した無数の影が眠っていた。

《レイド対象の生成に失敗しました》

《隠しクエスト「自分の名」達成》

眠る影の中には、《雑魚》《裏切り者》《生贄》と名づけられた小さな姿もあった。名称を外すと、武器も敵性も消えていく。

イレヴは彼らへ一人ずつ尋ねた。

「あなたは、何と呼ばれたい」

玉座の間は、討伐後の歓声ではなく、初めて自分の名を考える沈黙で満たされた。

《敵性存在は発見されませんでした――発見されたのは、敵と呼ばれる前の住民です》