四十二本目の空気

自転車店「スポーク」が月末で倉庫を半分返すことになり、加賀見惟月と北園は、展示車四十二台を二階へ運んでいた。売れない自転車は、床面積だけを食べる。大家はそう言ったらしい。

階段は狭く、ペダルが手すりへ当たる。北園は前輪、加賀見はサドルを持った。十台目で腕が痺れ、二十台目で会話が消えた。

「タイヤ、潰れてると重いな」

北園が言った。

二人は運ぶ前に空気を入れることにした。加賀見がバルブを押さえ、北園がポンプを踏む。しゅっ、しゅっ、と同じ音を四十二回繰り返した。

加賀見は先週、宅配の仕事を切られた。店の給料だけでは家賃が足りず、今夜にも実家へ戻るつもりだった。実家といっても、父の再婚後は客間しかない。北園には、店も危ないから別を探せ、と言われている。

三十一台目、加賀見は自分の通勤車が店の隅にあるのを見つけた。後輪が歪み、半年放置していたものだ。

「それも上ですか」

「違う。直す」

北園は振れ取り台へ車輪を載せた。加賀見がスポークを押さえ、北園がニップルを回す。店を畳む準備の最中に、売り物でもない自転車へ時間を使う理由が分からなかった。

「俺、戻りますよ。地元に」

「そうか」

「ここも長くないでしょう」

「だから直す。帰り道くらい、自分で選べるように」

車輪は完全には真っ直ぐにならなかった。だがブレーキには擦らない。北園は中古のライトを付け、加賀見は空気を規定値まで入れた。

四十二台目を運び終えたとき、二階は身動きできないほどだった。店が広くなったのではなく、一階が空いただけだ。明日から客に見せられる商品は半分もない。北園は空気圧を書いた札を束ね、最後の一枚だけ加賀見へ渡した。そこには値段ではなく、彼の自転車の適正値が書かれていた。

加賀見は通勤車を押して外へ出た。駅へ向かうなら、そのまま乗ればいい。けれど彼はチェーン錠を店前の柵へ回し、鍵を作業台の自分の引き出しへ戻した。

実家行きの切符は、まだ買っていない。朝になれば、四十二台の値札を付け直す仕事が残っていた。