四月三十一日の検収印
建機レンタル会社の融資審査会で、鬼無里文香は銀行系リース会社の契約補助として、油圧ショベル八十台の売買契約を確認していた。レンタル会社が関連企業へ売却し、その売掛金を担保に十億円を借りる計画だった。
検収書には「四月三十一日」、八十台すべて受領済みとある。買い手代表の署名と実印も押されていた。
文香は日付を指した。
「四月は三十日までです」
レンタル会社の社長は単純な誤記だと答え、四月三十日の取引として扱うよう求めた。
だが検収印には、社名変更後の新しい印章が使われていた。印鑑届出日は五月二日。四月三十日には存在しない印である。さらに買い手会社が設立されたのも五月一日だった。
「会社も印鑑も生まれる前に、八十台を受け取っています」
社長は設立準備中の発起人が受領したと説明した。文香は車両台帳を開いた。八十台は売却後もレンタル会社名義で保険更新され、五月以降も全国の工事現場へ貸し出されている。買い手へ移された機械は一台もない。
売買代金十二億円の支払記録もなかった。代わりに、買い手からレンタル会社へ十二億円の「未払金確認書」があり、その債権を銀行へ担保提供する形になっている。実体のない売買で、借入枠だけ作る構造だった。
融資部長は、資産が実在する以上、回収可能性はあると進めようとした。文香は八十台の所有権留保欄を示した。売却済みなら担保権者は買い手だが、登録上の所有者は売り手のまま。どちらの説明でも契約は矛盾する。
社長は若手補助員に融資を止める責任が取れるのかと迫った。
文香は四月三十一日の下へ赤線を引いた。
「存在しない一日に、十億円の返済原資は置けません」
文香は八十台の現在地も一覧にした。売却済みとされた翌日以降も、レンタル料は元の会社が受け取り続けている。買い手の帳簿には減価償却も保険料もなく、取得資産として一度も登録されていなかった。売買の痕跡は、融資用の紙にしか存在しなかった。
銀行役員が融資実行印をケースへ戻した。八十台の建機は動き続けても、四月三十一日の決裁は一日も先へ進まなかった。