夕食ノートはページをまたぐ
家族四人の食事時間が合わなくなり、母は食卓へ一冊のノートを置いた。
〈鍋にシチュー。温めすぎ注意〉
最初は伝言板だった。
〈父:焦がしました。鍋は無事です〉
〈兄:牛乳、最後を飲みました〉
〈妹:それを先に書いてください〉
やがて、伝言ではないことも増えた。
〈母:会議で褒められた〉
〈父:庭の椿、一個咲いた〉
〈兄:数学、平均より二点上〉
〈妹:隣の席の人が消しゴムを貸してくれた〉
大事件はない。
それでも、夕食を食べる人は前のページを読み、自分の一日を一行足した。
兄が進学で家を出てからも、帰省するたび書いた。
〈寮の味噌汁は薄い。母のは濃すぎる〉
母はその下へ、
〈苦情として受理しません〉
と返した。
妹が高校生になると、ノートを読んでも何も書かない日が増えた。
ある夜、妹の欄だけが三日続けて空白だった。
母は問い詰めず、
〈今日は書かなくていい日〉
と記した。
父は、
〈唐揚げを二個残してあります〉
兄は遠方から家族画面を通じ、
〈電話は出なくていい。必要なら呼んで〉
と書き写してもらった。
四日目、妹は遅い時間に食卓へ座った。
学校の発表で声が出なくなり、笑われた。もう行きたくない。そう書こうとして、途中で鉛筆を止めた。
〈唐揚げ、食べました〉
それだけ書いた。
翌朝、返事が三つあった。
〈母:了解〉
〈父:二個とも?〉
〈兄:一個は僕の予定でした〉
励ましも助言もない。
妹は初めて笑い、その下へ続けた。
〈発表、失敗しました。笑われました。今日は休みたい〉
母は仕事を遅らせ、父は学校へ連絡した。兄は夜に電話し、自分も発表で名前を言い間違えた話をした。
問題がすぐ解決したわけではない。
妹は翌日も休み、その次の日に教室へ戻った。
ノートは一年後、最後のページまで埋まった。
新しいノートの一行目に、父が書いた。
〈前の続きです〉
家族の会話は、全員が同じ時刻に向かい合わなくても続けられる。
一行しか書けない日も、空白の日も、その次のページを誰かが開いて待っていればよかった。