夫婦口座、残り六日
月舘佳乃は、夫婦共有の時間口座から毎晩五時間ずつ消えていることに気づいた。家賃も食費も別口座で払っている。夫に尋ねると、「保険の調整だ」と目をそらした。
佳乃は余命を宣告されていた。治療を続けても三か月。だから二人は残高を共有し、どちらが先に死んでも残った時間を相手へ譲る契約を結んだ。口座には六日と十一時間あった。それが日に日に減っている。
夫が眠ったあと、佳乃は明細を開いた。支払先は娯楽でも投資でもなかった。
《疼痛代行サービス――五時間》
病室で佳乃が痛みなく眠った五時間を、夫が自分の寿命で買っていた。痛みは消えたのではない。時間とともに夫の側へ請求されていたのだ。
「勝手に優しくしないで」
翌朝、佳乃は夫を責めた。
「君が眠れるなら、安い」
「私が眠ってる間に、あなたが死ぬのは高すぎる」
二人は結婚以来いちばん激しく喧嘩した。医師は自動支払いの停止を勧めなかった。苦痛は判断力を奪うからだ。しかし佳乃は解除した。
その夜から痛みが戻った。夫は背中をさすり、佳乃は苛立って手を払い、数分後には謝った。二人で冷めた粥を食べ、昔の旅行写真を見た。眠れない時間は長く、醜く、何度も泣いた。だが共有口座の数字は減らなかった。
六日目の朝、佳乃は夫の肩にもたれた。残高は一日と三時間。
「全部きれいな時間にしなくてよかった」
夫は答えず、握った手に力を込めた。
佳乃が亡くなったあと、残った十一時間が夫へ移された。夫はその時間を保存せず、彼女の好きだった海まで歩くために使った。痛みのある日々もまた、二人が一緒に生きた時間だった。
夫はその後、疼痛代行の広告を見るたび画面を閉じた。佳乃を苦しませたことへの後悔は消えなかったが、苦痛を消すことだけが愛ではないと知ったからだ。残された十一時間で見た海は荒れていた。彼は晴天へ補正せず、冷たい風の中で彼女の名を呼んだ。
佳乃は最期まで、痛いときは痛いと言った。夫も、怖いときは怖いと言った。互いを守るために黙る時間が、二人にはもう要らなかった。