婚約破棄の剣は空を斬る
「カルネーヤ、お前との婚約は破棄する」
王太子プラディオは、大広間に集めた貴族たちの前でそう宣言した。理由は、彼女が護衛もせず戦場から逃げ続けた卑怯者だからだという。
カルネーヤは返された指輪を指先でつまみ、玉座の前に立ったまま尋ねた。
「では、二百七十年間、王家の者が一人も戦死しなかった理由はご存じですか」
若い王太子は笑った。彼女が王家に仕え始めた年を、冗談だと思ったのだ。
「最後まで虚言か。新しい婚約者への詫びとして、その首を差し出せ」
プラディオは王家の宝剣を抜いた。所有者が狙ったものへ必ず届く《命定剣》。まず頬を浅く切り、無様に逃げる姿を見せるつもりだった。
刃はカルネーヤの顔へ走り、なぜか半歩も動かない彼女の脇を抜け、玉座の肘掛けを切り落とした。
広間が静まる。
「手元が狂っただけだ」
王太子は赤面し、宝剣へ王家の血を注いだ。二撃目は広間の柱まで断つ《王命断》。面で押し潰す斬撃なら、身をかわす余地はない。
白い衝撃がカルネーヤを呑み、床石の粉塵が天井画を隠した。
煙が晴れる。
彼女は指輪をつまんだ同じ姿勢で立っていた。ドレスにも傷はなく、背後にいた老王と侍従たちまで無傷だった。斬撃の跡だけが、彼女たちを囲むように左右へ分かれている。
宮廷史官が震える手で、壁際の歴代戴冠画を指した。初代王の隣、五代王の背後、疫病王の寝台脇――どの絵にもカルネーヤと同じ顔の女が立っている。新しい婚約者は扇を落とし、先ほどまで笑っていた貴族たちは、誰の庇護を追い払ったのかようやく理解した。老王は玉座から立ち、王太子ではなくカルネーヤへ頭を下げた。その一礼で、広間の力関係は婚約破棄の宣言より鮮明に反転した。
プラディオが異常に気づいたのは、宝剣の切っ先がカルネーヤへ向くことを拒み、震え始めたときだった。
「私は逃げていたのではありません」
カルネーヤは指輪を床へ置く。
「王家へ向かう死を、王家から逃がしていたのです。ですが婚約と護衛契約は、今ので同時に終了しました」
王太子が怒鳴って剣を振り上げる。カルネーヤはもう老王の前に立たなかった。
それでも《命定剣》は彼女だけを狙えず、柄から刃先まで細かくひび割れ、王太子の手の中で砕けた。