存在しなかった出願番号
物流ドローンの衝突回避技術を巡る買収会議で、佐渡原茜は売り手側のシステム会社から派遣された保守要員だった。買収対象の新興企業は、その技術を自社単独の特許として十六億円で評価している。
茜が作ったのは、風向きを予測して回避経路を一秒ごとに組み替えるコードだった。元請けは「単なる実装」と呼び、発明者には社長と営業責任者を記載した。
買収契約の別紙には、茜の会社が権利を放棄した証拠として特許譲渡確認書が添付されていた。日付は六月十四日。本文には「特願二〇二六―一四八七三二号に関する一切の権利」とある。
茜はその七桁を指した。
「この出願番号が付いたのは六月十七日です」
特許庁の受付記録では、出願手続が完了したのは十七日午前九時二十一分。十四日の文書に、三日後まで存在しない番号を書くことはできない。
新興企業の社長は、後から番号だけ補記したと説明した。
「補記なら、訂正印が必要です」
番号の上には訂正印がない。しかもPDFの電子署名は六月十四日午後四時で固定され、署名後の変更は検証エラーになる。茜がその場で検証すると、表示は赤く変わった。文書は署名後に差し替えられていた。
さらに元ファイルの履歴には、六月十八日午前零時七分、「佐渡原を削除」という変更記録が残っていた。
買い手企業の法務責任者は、十六億円の算定表から目を離した。
「独占できない特許に、この価格は払えません」
茜の上司は小声で、黙れば保守契約を続けると言った。茜は首を振った。
「一秒ごとの経路を守る技術です。三日分の時間を飛び越える契約は守れません」
買収責任者は、番号の補記だけなら契約全体を無効にするほどではないと言った。茜は出願前のソース管理履歴も示した。回避関数の作成者は彼女で、元請け社長が最初に閲覧したのは六月十六日。十四日に譲渡対象を特定したという説明とは、コードの時系列まで食い違っていた。
買収承認欄へ向かっていた役員の署名が、七桁の番号の直前で止まった。