客室より暗い休憩室
珠実が勤めるホテルには、客室より暗い休憩室がある。
地下のリネン庫の隣。蛍光灯は二本のうち一本しか点かず、壁の時計は三分遅れている。空調の吹き出し口から一定の風が落ち、奥では業務用乾燥機が、ごう、ごう、とシーツを回していた。
午前三時。ロビーの照明は磨いた床へ金色に映り、宿泊客のための夜をつくっている。けれどドア一枚を閉めれば、珠実の前にあるのは灰色の机と、自動販売機の青い明かりだけだった。
休憩は二十分。珠実は制服のスカーフを少しゆるめた。
冷蔵庫には、誰かが置いた小さな牛乳パックが一つあった。側面に日付と、丸い文字で「夜の人へ」と書かれている。誰の字か思い当たらない。清掃担当か、厨房か、昨日の夜勤者かもしれなかった。
勝手に飲んでよいのか迷い、扉を閉める。
乾燥機が止まった。回転の余韻で金属が一度だけ鳴り、それから地下は驚くほど静かになった。上の階をエレベーターが通り、ワイヤーの低い唸りが天井を移動する。遠くで雨水が排水管を流れた。
ロッカーの上には、返却前の客室カードキーが一枚置かれていた。黒い表面に番号はなく、ただホテルのロゴだけが銀色に光っている。どの部屋も開けられない無効なカードだった。それでも、何百人もの眠りへ続く廊下を通ってきたものらしく見えた。珠実は指で触れず、机の端から落ちない位置へ押し戻した。
珠実はスマートフォンを開いた。友人の結婚式の写真が届いていた。白い花、笑う顔、明るい昼。欠席したのは夜勤のせいではない。休みを申請するほど親しいと思ってよいのか、最後まで決められなかっただけだった。
画面を伏せると、青い自販機の光が指に残った。
そのとき廊下を台車が通った。車輪が一つだけ、きゅ、きゅ、と鳴る。ドアの向こうで足音が止まり、ノブが少し動いたが、すぐ離れた。誰かが使用中の札を見たのだろう。
珠実は冷蔵庫をもう一度開けた。牛乳パックの裏に、小さく「余ったので」と追記があった。
紙コップへ半分だけ注ぐ。電子レンジの中で白い液体がゆっくり回り、暗い休憩室に淡い湯気が立った。
二十分後、珠実は残りを冷蔵庫へ戻し、「いただきました」と同じペンで書いた。返事が読まれる頃、自分は眠っているだろう。
それでよかった。客室より暗い部屋を出るとき、地下の夜はもう、閉じ込められる場所ではなかった。