家族の上塗り
図工教師の鶴来杏は、一年生の作品を見て手を止めた。
課題は「家族の絵」。
ほかの児童が画用紙へクレヨンで描く中、その男の子だけは古い油絵のキャンバスを持ってきた。
絵には、父親と少年と、赤いワンピースの女が並んでいた。子どもの作品とは思えないほど、女の顔だけ写実的だった。
「お母さん?」
「今のお母さん」
妙な答えだった。
乾燥棚へ運ぶ途中、杏はキャンバスを光へ傾けた。女の顔の下に、別の目と口が透けている。絵具が厚く盛られ、何人もの顔が重なっていた。
男の子は悪びれずに教えた。
「新しいお母さんが来たら、お父さんが上から描くの」
「前のお母さんは?」
「いなくなるよ。見えなくなるまで塗るから」
杏は冗談だと思おうとした。
だが最下層からのぞく女性に見覚えがあった。三年前、帰宅途中に失踪したこの学校の元養護教諭だった。次の層は、近所のスーパーに捜索願いのポスターが貼られている女性に似ている。
キャンバスの裏には、女たちの名字らしい文字と日付が順番に書かれ、最後の一行だけが空いていた。
杏は校長へ報告し、警察に連絡するよう頼んだ。
その間に、男の子は女の顔をパレットナイフで削り始めた。
「だめ。作品が壊れるよ」
「大丈夫。次の人を描くから」
削り取られた赤い女の下から、まだ下描きだけの新しい顔が現れた。
杏の顔だった。
髪を耳へかける癖も、右眉の上の小さな傷も描かれている。今日着てきた黄色いカーディガンまで、すでに薄く塗られていた。
「どうして先生なの」
「お父さん、昨日から先生の家を見てるよ。夜も一人だって」
職員室の電話が鳴った。
事務員が教室へ顔を出した。
「鶴来先生、保護者の方がお迎えです。家庭訪問のお約束をしたそうですが」
男の子はうれしそうに絵の題名を書いた。
〈きょうからのかぞく〉
廊下から、男の低い声がした。
「先生、息子がお世話になっています」
杏は教室の鍵を掛けようとした。
しかし扉はすでに外側から押さえられていた。
キャンバスの中の杏には、まだ口が描かれていなかった。