屋上バジルは無給です

 吹上谷征士は、叔母から小さな雑居ビルを相続した。

 一階は花屋、二階は税理士事務所、三階は住居。家賃収入で慎ましく暮らせるため、征士は会社を辞め、屋上の物干し場を眺める人になった。

 従妹の榎並ひなが、仕事を辞めて転がり込んできたのは春だった。

「一か月だけ休む」

「去年も聞いた」

「今回は暦が違う」

 ひなは三階の空き部屋へ住み、午前中は眠り、午後は屋上へ出た。

 二人は屋上に鉢を並べた。

 花屋から余った土をもらい、バジル、ミニトマト、青紫蘇を植える。最初の週、ひなは水をやりすぎ、征士はやらなさすぎた。

「管理方針が合わない」

「オーナーが無関心」

「家賃を払わない住人が過干渉」

 二人は鉢の真ん中へ割り箸を立て、土が乾いたら水をやるという規約を決めた。

 六月、バジルだけが勢いよく増えた。

 摘んでも摘んでも新しい葉が出る。

「これは労働では?」

 ひなが籠いっぱいの葉を見て言う。

「無給だから趣味」

「収穫物が現物支給」

「では農業」

 二人は分類を諦め、台所へ運んだ。

 松の実は高いので、炒った胡桃とオリーブ油、粉チーズを混ぜてソースにした。

 ひながすり鉢を押さえ、征士が葉を潰す。青い香りが立ち、古い部屋の壁まで夏の匂いになった。

 茹でた麺へ絡めると、鮮やかな緑が少し黒く落ち着いた。

 昼食は屋上で食べた。

 税理士事務所の室外機が低く唸り、花屋の前から切った茎の甘い匂いが上がってくる。

「今後の計画は?」

 征士が訊く。

「トマトが赤くなるまで休む」

「その次は」

「紫蘇の花が咲くまで考える」

「長期契約だな」

「家賃交渉します?」

「バジルで払って」

 午後、二人は日陰へ椅子を移し、何もせず雲を見た。

 風が吹くたび、洗濯物とハーブの葉が一緒に揺れる。

 一階の花屋が屋上へ顔を出し、「香りが下まで来る」と笑った。征士はソースを小瓶へ詰めて渡した。

 夕方、空の鉢へ雨が一粒落ちた。

 ひなは水やりを休める理由ができたと喜び、征士は割り箸の規約を抜いた。

 働かない二人の屋上では、植物だけが毎日よく働く。

 それでも摘みたてのバジルの香りは、誰の給与明細にも載らず、三階の台所へ豊かに残っていた。