弟のプリンに銀の匙

美琴が九歳の台所へ戻ったとき、冷蔵庫の扉は開いたままだった。

棚には空のプリン容器。床には銀色の小さな匙。弟の透が誕生日まで取っておいた、最後の一個だ。

従兄の陸玖が口元を拭きながら、美琴へ匙を押しつける。

「美琴が食べたって言って。お姉ちゃんなんだから、かばえるよね」

まったく同じ台詞だった。

前の人生で美琴は頷いた。叱られるのが怖くて泣く陸玖を守ったつもりだった。

だが透は「お姉ちゃんは僕の大事なものを平気で取る」と信じた。それから陸玖が小銭を盗んでも、宿題を破っても、美琴が身代わりになった。大人になった陸玖は祖父の店の金まで持ち逃げし、透は最後まで美琴を疑った。家族会議で美琴が真実を話しても、透は「また誰かをかばう嘘だろ」と席を立った。その背中が、死ぬ前まで消えなかった。

銀の匙は、小さな嘘の始まりだった。

美琴はそれを陸玖へ返す。

「食べたのは陸玖君。私はかばわない」

「言いつけるのかよ! 意地悪!」

「意地悪なのは、透のプリンを食べて、私に嘘をつかせること」

陸玖は大声で泣き始めた。前なら、その声に負けた。

美琴は冷蔵庫の横にある買い物メモを取り、裏返す。そこには母が試しにつけた小型カメラの映像を見るための番号が書かれている。大人の自分は、店の持ち逃げ事件で初めて、そのカメラが当時からあったと知った。

母を呼び、番号を入力する。

画面には陸玖がプリンを食べ、銀の匙を美琴の机から持ち出す姿まで映った。

「これは違う!」と叫んだ陸玖は、勢いのまま言った。

「昨日の五百円だって、美琴の財布に入れたらばれなかったのに!」

台所が静まり返る。

母は美琴を叱らず、陸玖の家へ電話をかけた。

透は空の容器を見つめていたが、やがて自分の誕生日用ケーキを冷蔵庫から出した。前の人生では、美琴に背を向けて一人で食べたケーキだ。

透は銀の匙を二本並べる。

「お姉ちゃん。これは半分こにしよう」

その呼び方が、未来で失ったままだった最初のものだった。