技能更新
倉持文哉は毎朝、作業着に着替えると《スキル棚》を開く。フォークリフト操作、危険物取扱、心肺蘇生。習得した技能は月額で維持され、料金が切れた技能から使えなくなる。知識は表示されても、身体が手順を実行しない。それがこの国の資格制度だった。
物流倉庫の契約社員である文哉は、会社が払うフォークリフトだけを残し、個人契約の心肺蘇生はいつも自費で更新していた。中学の頃、父が食卓で倒れたとき、何もできなかったからだ。
講習を受けた日は、妹の千鶴が古いクッションを床へ置き、「私で練習するなよ」と笑った。更新料を無駄だと言う同僚にも、文哉は答えなかった。使う日が来ないことへ金を払う。それでよかった。
給料日前の朝、残高が千二百円足りなかった。更新日は今日だが、夜勤手当が夕方には入る。猶予は二十四時間あると、文哉は思っていた。
昼休み、千鶴から電話が来た。声の代わりに、何かが床へ落ちる音がした。
文哉は寮へ走った。玄関で千鶴が倒れている。呼吸がない。救急へ通報し、胸の中央に両手を置く。
押せ。
頭では分かっている。深さ五センチ、毎分百回。だが肘が曲がり、掌が位置を外れる。見えない壁が筋肉を止めていた。通話口の指令員が数を数える。文哉も声を合わせるが、手だけが従わない。
端末が冷静に告げた。
〈心肺蘇生技能の契約が終了しました〉
〈再利用には月額千二百円の決済が必要です〉
文哉は震える指で決済を押した。残高不足。
救急隊の到着予定は七分後。千鶴の唇から色が消えていく。
すると別の通知が出た。
〈緊急時の一回利用:九千八百円〉
〈対象者が二親等以内の場合、依存防止のため割引は適用されません〉
文哉は笑いそうになった。父を救えなかった記憶は無料で残っているのに、同じ後悔を避ける手順には値段がつく。
借入ボタンを押す。審査理由に「妹を救うため」と入力した。
〈返済能力を算定します〉
〈失効技能を含むため、就労価値が低下しています〉
審査の輪が回る。その間も、彼の手は妹の胸の上で、正しい形を思い出せずにいた。