数字の踊らない夜
商都の冬至夜会では、楽団より先に金貨が踊る。
その中心で、公爵令息アスパルは声高に告げた。
「クウェンナ・ヴァルシュ。慈善基金から三万枚を着服した君とは婚約を破棄する!」
隣に立つリュネッテが、悲しげに目を伏せる。
「孤児たちのパンを奪うなんて……わたくし、帳簿を見つけたとき震えました」
壁際の商人たちが一斉に距離を取った。金を盗む貴族は、毒を盛る貴族より嫌われる。
クウェンナは杯を卓へ戻した。
「告発額は三万枚。それ以外はございませんね」
「額の問題ではない!」
「数字の問題です」
そのとき、黒い礼服の男が一人だけ進み出た。王国商業院総裁ガレスター。彼はクウェンナの味方だと宣言せず、ただ一枚の羊皮紙を掲げた。
「慈善基金の資金移動契約書だ。原本は商業院の耐火庫にある」
紙面には、金の流れが一枚の上に刻まれていた。
出金元――クウェンナ個人信託。
入金先――慈善基金。
同日引出人――アスパル。
用途――公爵家所有の南鉱山、その未払い賃金。
「三万枚は基金からクウェンナ嬢へ消えたのではない」とガレスターは言った。「彼女の私財から基金へ入り、その日のうちにアスパル殿が引き出した。盗んだ者と補填した者を、逆にした告発だ」
アスパルの顔から笑みが消えた。
「それはクウェンナが勝手に作った偽書だ!」
「ご自分の血判まで、彼女が作ったと?」
羊皮紙の隅で、アスパルの血印が赤く脈打っている。契約者本人が近くにいると反応する、商都の古い証明だった。
リュネッテがそっと彼から腕を離した。
「クウェンナ、これは家同士の融通だ。説明すればよかっただろう。今夜のことは水に流し、婚約を戻そう」
「いいえ」
彼女は初めて微笑んだ。
「鉱夫の賃金が止まらぬよう、返済を待ったわたくしの沈黙を、殿下は盗人に仕立てるため利用なさいました。三万枚より、その信用の損失のほうが高くつきます」
ガレスターが契約書を畳む。
「商業院には、数字を踊らせない監査官が必要だ。爵位ではなく、署名で働く席だが」
差し出された手には宝石の指輪ではなく、インクの染みがあった。
アスパルが「待て」と叫ぶ。
クウェンナは一度も振り返らず、元婚約者に背を向け、ガレスターの手を取った。