新郎側の空席

披露宴には、招待客の人数より一脚多く椅子を用意する。

余分な椅子は両家の境目に置き、名札を立てない。新郎新婦は、送らなかった招待状をすべて座面の下へ入れる。乾杯からケーキ入刀までの間に椅子がどちらかの側へ移動したら、その側の者は一通を選び、宛名を声に出さず読む。式が終わるまで、その人に連絡してはいけない。代わりに、自分の持ち物を一つ椅子へ残す。

薬袋の披露宴では、余分な椅子が新郎側へ三十センチ動いた。

司会者は進行を止めず、会場係も料理を運び続けた。妻になる人だけが薬袋を見た。兄が来るかもしれないと考え、新郎側の端へ料理を一人分増やしていたのも彼女だった。スープは運ばれたまま、余分な椅子の前で湯気を失っていった。彼女は、その椅子の下に一通しかないことを知っていた。

宛名は兄だった。

母の介護と家の売却をめぐって争い、二年連絡を取っていない。薬袋は兄を式へ呼ばなかった。祝われないのが怖かったのではない。来て、何事もなかったように笑われる方が怖かった。

母の最期の半年、病院へ通ったのは兄だった。薬袋は仕事を理由に月に一度しか帰らず、葬儀の後で家の売却だけを急いだ。兄が怒鳴った言葉より、自分が言い返さず車へ乗った音の方を、今も鮮明に覚えている。

招待状には住所を書いていなかった。それでも封筒の表には、兄の新しい住所が墨で記されていた。消印は翌日の日付だった。

薬袋は持ち物を探した。時計は妻からの贈り物。財布は新生活の金が入っている。胸ポケットには、実家の古い鍵があった。家は売却済みで、もうどの扉も開かない。兄と最後に会った日、二人とも返し忘れた鍵だった。

彼は鍵を座面へ置いた。

「それでいいの?」と妻が小さく尋ねた。

薬袋は規則どおり、宛名を言わずに頷いた。ケーキへナイフを入れると、余分な椅子は新郎側の列へきちんと収まり、最初からそこにいた客のようになった。

披露宴が終わるまで、兄から連絡はなかった。

最後の客を見送って会場へ戻ると、椅子だけが消えていた。白いテーブルクロスの上に、実家の鍵と小さな紙鶴が残っている。紙鶴は招待状の封筒で折られ、翼の内側に翌日の消印が半分だけ見えていた。