最初の霜が倉庫を渡した

 収穫祭の夜、ガルディオン侯爵令息は飢えた村人の名簿を床へ投げた。

「救荒麦が倉庫から消えた。管理者ティサリア・ヴェルガモが横流ししたのだ。民を飢えさせる女との婚約を破棄する」

 歓楽の音が止まり、農村育ちのティサリアへ冷たい目が集まった。彼女が倉庫を整え、鼠一匹の穴まで塞いだことを知る者はいない。知ろうともせず、ガルディオンは『冷酷な悪役令嬢』という呼び名だけを配った。

 名簿には、彼女が夏に一軒ずつ訪ねた家の名が並んでいた。幼い兄妹の家、足を悪くした粉屋、今年初めて畑を持った新婚夫婦。飢えさせるどころか、一人も取りこぼさないために作った名簿だった。それを床へ投げたことのほうが、告発より胸に刺さる。

 ガルディオンは霜が降りる前、王都流の効率化をすると言って彼女を倉庫から締め出した。鍵の引き渡し式では笑顔で『あとは任せろ』と言った。その言葉を覚えているのは、もう彼女だけだと思っていた。

 ティサリアは名簿を拾わなかった。

「今年、最初の霜が降りた日を覚えていらっしゃいますか」

「話を逸らすな」

「婚約契約の第十二条に必要な日付です」

 穀物組合長メルキオールが、封じられた契約原本を持って前へ出た。彼はティサリアの無実を叫ばず、ただ頁を開く。

 第十二条――最初の霜が契約印に宿った時点で、救荒倉庫の管理権は花嫁家から花婿家へ移る。

 条文の端には白い霜花が残り、その中心に日付と引受人の名が刻まれていた。

『冬月一日。引受人、ガルディオン』

 麦が消えたのは冬月四日。契約は三日前から、倉庫を彼の責任としていた。

「鍵の受け渡しなど覚えていない!」

「記憶ではなく、あなたが署名した条項のお話です」

 ガルディオンは、誤解だった、婚約を続ければ村への補償も一緒に考える、と言い出した。

 ティサリアは初めて彼をまっすぐ見た。

「民を人質にしなければ結べない縁なら、最初の霜より冷たいものです」

 指輪を名簿の上へ置き、元婚約者に背を向ける。メルキオールが倉庫の再建へ向かう扉で手を差し出した。ティサリアは自分の意思で、その手を取った。