最後の声は海へ

島では百年に一度、潮鐘守が選ばれる。

沖の黒礁に建つ鐘楼へ渡り、嵐の兆しを鐘で知らせる役目だ。守り手は海の声を聞く代わりに、人の言葉を失う。陸へ戻ることも、手紙を送ることも許されない。

選ばれたのは、弥千代の幼馴染の篝だった。

二人は物心つく前から一緒だった。浜で貝殻を拾い、漁具小屋の屋根から流星を数え、どちらかが叱られると、もう一人も理由なく隣に立った。

渡りの日、篝を乗せた小舟を弥千代が漕いだ。

黒礁までの海は驚くほど穏やかだった。

「もっと何か話して」

弥千代が言う。

「昨日まで散々しゃべった」

「最後だと思うと、全部足りない」

「黙る練習をさせろよ」

篝は笑った。強がるとき、右の犬歯だけが見える。弥千代はその癖を、誰より長く知っていた。

黒礁を囲む白い波が近づく。あの線を越えれば、守り手は声を失う。

弥千代は櫂を止めた。

「篝。好き」

彼は振り返った。

「ずっと好きだった。でも残ってとは言わない。島を守るあなたを、嫌いにもならない。ただ、私が何も言わなかったことにはしたくない」

篝は何か言おうとしたが、弥千代は首を振った。

「返事はいらない。答えをもらったら、待ってしまうから」

小舟は波の線を越えた。

篝が鐘楼の石段へ飛び移る。舟を返そうとした瞬間、背後から声がした。

「俺も、弥千代が好きだ!」

海が大きくうねった。

篝は喉を押さえ、もう一度叫ぼうとした。けれど唇が動くだけで、音は生まれなかった。

彼は最初で最後の返事を、禁じられた境界の向こうへ投げたのだ。

弥千代は泣きながら櫂を握った。

「返事はいらないって言ったのに」

篝は肩をすくめた。幼い頃、いたずらを見つかったときと同じ顔だった。

それから毎夕、弥千代は浜へ出た。

黒礁の鐘楼に灯がともると、こちらもランプを掲げる。言葉は交わせず、同じ岸に立つこともない。

嵐の夜、篝が鳴らす鐘は島じゅうへ届いた。

弥千代には、その一打ごとが、あの日の返事の続きに聞こえた。

二人の恋は始まらなかった。

けれど海を挟んだ二つの灯だけは、生涯、互いを見失わなかった。