最後尾の半熟卵
昼の十二時を過ぎると、三年二組の焼きそば屋には校庭まで列が伸びた。
宇治川乃々佳は鉄板の前で、ひたすら麺を返していた。ソースの煙で目が痛い。注文を取る声、釣り銭を数える声、呼び込みの太鼓。文化祭らしい音は全部聞こえるのに、目の前にいるのは麺とキャベツばかりだった。
「あと十玉!」
調理班長が叫ぶ。
最後尾の札を持っていた伏見岳が、教室へ戻ってきた。
「卵、余ってる?」
「三個」
「焼いて」
「追加メニューは終わり」
「俺の分」
「働いてる人は後」
「だから最後尾まで待った」
岳の背後には、もう客がいなかった。
乃々佳は鉄板の隅へ卵を割った。黄身がきれいな丸になり、白身の縁だけが泡立つ。
二人は中学から同じクラスだった。なのに今年は、進路の話を一度もしていない。乃々佳が遠県の専門学校へ行くことを、岳が知っているかもわからなかった。
「固め?」と訊く。
「半熟」
「昔は固いほうが好きだったじゃん」
「変わった」
「そう」
ソースの容器が空になった。乃々佳は最後の一滴まで絞り、麺へ絡めた。
「宇治川も変わった?」
「何が」
「来年、ここにいないとか」
手が止まりそうになった。
「知ってたんだ」
「出願の封筒、職員室で見た」
「見るなよ」
「見えたんだよ」
乃々佳は焼きそばを紙皿へ盛り、卵を載せた。黄身の端が破れ、黄色が麺へ流れた。
失敗した、と思った。
けれど岳は「これがいい」と言った。
列も注文も終わり、二人は教室の後ろの床へ座った。箸は一膳しか残っていなかった。
「半分食べる?」と岳が訊く。
「自分の分って言ったじゃん」
「最後の一皿だから、半分」
「卵は?」
「黄身が多いほう、そっち」
「公平じゃない」
「遠く行く人への餞別」
乃々佳は笑いながら箸を受け取った。
冷めかけた焼きそばは、ソースが濃すぎた。卵の黄身だけが甘く、二人の間を流れて混ざった。
閉会式ではクラスが模擬店部門の二位になった。写真には、鉄板を囲んで喜ぶ全員が写っている。
乃々佳が何年後も思い出すのは、その写真の外だ。
客のいなくなった教室で、一膳の箸を交互に使い、進路の話をしないまま食べた、最後尾の一皿だった。