月兎の腹の音
満月祭の夜、神殿の屋根に月喰い兎が座った。
銀の耳は塔より高く、赤い目が地上を見下ろしている。祭司たちは「怒りを鎮めよ」と宝石を捧げ、騎士たちは震える手で弓を引いた。
厨房係のメルカだけが、別の音を聞いた。
祭りの支度で朝から何も食べていない自分が、同じ音を何度も鳴らしていたからだ。怒りなら耳は前を向く。空腹を隠す動物は、たいてい視線を逸らし、鼻だけを食べ物へ向ける。
ぐううううう。
祭礼の太鼓より低く、長い音だった。
月喰い兎は気まずそうに耳を伏せる。すると祭司長が「威嚇だ!」と叫び、全員がさらに青ざめた。
「お腹が空いてるだけでは?」
メルカの声に、祭司長は眉を吊り上げた。
「神獣が芋など食うものか。下働きは黙れ」
だが、金盆の宝石を前にしても兎は動かない。鼻だけが、厨房から漏れる湯気の方へひくひく動いている。
メルカは祭礼用に蒸した蜜芋を一つ抱え、階段を上った。
屋根へ出ると、巨大な鼻先がすぐ目の前に降りてくる。温かな息で前髪がめくれた。
「皮ごとでいい?」
返事の代わりに、鼻がもう一度鳴った。
芋を割ると、黄金色の中身から甘い湯気が立つ。月喰い兎は前歯でそっと半分だけ齧った。目を細め、残りも一口で消す。
メルカは二つ目を差し出した。三つ目、四つ目。
兎は巨大な前歯を持つのに、彼女の指へ触れないよう唇だけで芋を受け取った。五つ目には、冷ますまできちんと待った。その律儀さがおかしくて、メルカの肩からも力が抜ける。
祭司長が「供物を勝手に」と怒鳴りかけたとき、兎の後脚が屋根を蹴った。
誰もが伏せた。
次の瞬間、月喰い兎は横倒しになり、メルカの前で白銀の腹をさらしていた。
「そこも撫でるの?」
両手を毛へ沈める。ふかふかの腹が上下し、満腹の息が夜気を揺らす。
兎の額から淡い月形が浮かび、同じ印がメルカの手首に宿った。
祭司たちが一斉にひれ伏しても、月喰い兎は見向きもしない。
ただ長い耳の一本をメルカの肩へ預けた。柔らかな耳は分厚い掛け布団ほど重く、蜜芋の湯気を閉じ込めたようにぬくもっていた。