未送信メール係
下書きのまま七十二時間を過ぎたメールは、未送信メール係へ提出する。社内システムが自動で印刷し、封筒と「送る」「送らない」の二つの判子を机へ出す。送信者はどちらかを押し、二十三時五十九分までに無人の社内便箱へ入れなければならない。係の内線も座席も、社員名簿にはない。
鵜澤は三年間、製品サポートの返信文を作っていた。謝罪、交換、返金。送る言葉には迷わない。迷うのは、仕事と関係のないメールだけだった。
転勤した元恋人の紗季へ書いた下書きが、七十二時間を迎えた。
件名は〈あの部屋の鍵〉。本文は一行だけだった。
〈まだ持っているなら、捨ててください〉
別れたとき、鵜澤は自分の合鍵を返してもらわなかった。返してと言えば、本当に終わる気がした。紗季も何も言わなかった。半年後、彼女は地方支社へ異動し、連絡先だけが社内名簿に残った。
プリンターから封筒が出た。規則では、印刷後に本文を直してはいけない。鵜澤は「送らない」の判子を押した。鍵の話をするには遅すぎ、忘れるには早すぎた。
二十三時五十八分、社内便箱へ入れると、底のないはずの箱から紙を折る音がした。
翌朝、メールの下書きは消えていた。代わりに受信箱へ未送信メール係から通知が届いた。
〈処理不能。受取人が同文面を保有しています〉
添付ファイルを開くことは禁止されていた。鵜澤は規則どおり削除した。昼休み、紗季から業務電話が入った。新製品の不具合について、他人行儀に確認を受ける。用件の最後、彼女は小さく息を吸った。
「そっちに、私のメール行ってない?」
鵜澤は「業務外の話は記録に残る」と答えた。紗季は「そうだね」と言い、電話を切った。
その夜、彼の机にもう一通の封筒が置かれていた。差出人欄は紗季。件名は同じ〈あの部屋の鍵〉だった。封筒にはすでに「送らない」の判子が押されている。
規則では、他人の未送信メールを開けてはならない。鵜澤は封を切らず、二通目として社内便箱へ入れた。
翌朝、キーボードの中央から「送信」キーだけがなくなっていた。空いた穴には、見覚えのある真鍮の合鍵が縦に差さっている。
鍵の歯には、二人分の指紋が白い粉のように重なっていた。