校歌の二番
波多野廉、千々岩和花、間瀬惟月が同窓会を抜けたのは、校歌の一番が終わったときだった。
駅前の焼き鳥屋に入り、三人はカウンターの端へ並んだ。高校の合唱部で、廉がテノール、和花がアルト、惟月が伴奏だった。さっきの宴会場でも、前奏が流れた瞬間だけ、十年前の呼吸に戻れた。
「二番まで歌えばよかったのに」と和花が言った。
「誰も歌詞を覚えてない」と廉。
惟月は箸袋の裏に、二番の最初の一行を書いた。〈遠き峰より風は来て〉。三人とも、その先で止まった。
廉は県立高校の音楽教師になっていた。来年度、合唱部のない山間校へ異動する。
「新しく作るよ。五人集まれば大会に出られる」
和花は笑った。「先生らしくなったね」
「和花は店、継ぐんだろ」
「継がない。今月で花屋を閉める。母には悪いけど、夜間の看護学校に受かった」
高校時代、最初に音大を目指したのは和花だった。けれど父の死後、受験票を出さずに店へ立った。廉も惟月も、その話題を避けることを友情だと思っていた。
惟月はビールを一口飲んだ。「私は耳の手術を受ける」
二人が同時に顔を向けた。
「右がほとんど聞こえなくなった。成功しても、前みたいに弾ける保証はない。だから手術のあと、調律師の会社を辞めて、字幕制作へ移る」
「音から離れるの?」
和花の問いに、惟月は首を傾けた。「聞こえない人に音を渡す仕事。離れるのとは、少し違う」
焼き鳥が三本届いた。店内の有線で、偶然、卒業式によく使われる曲が流れた。廉は拍を取り、和花は低くハミングし、惟月はカウンターを指で叩いた。三人の速度は、もう揃わなかった。
「二番、思い出した」と廉が言う。
けれど彼は歌わなかった。和花も続きを尋ねなかった。惟月は箸袋を三つ折りにし、灰皿のない卓上へ置いた。
会計を終え、三人は駅前で別れた。廉は北口、和花はバス停、惟月はタクシー乗り場へ向かった。
カウンターには、二番の一行だけが残った。店員が箸袋を捨てるまで、その歌は誰の声にもならなかった。