橋の真ん中

沢渡玲奈が願いの店へ入ると、店主は最初に言った。

「うちの願いは、半分だけかないます」

玲奈は少し考え、それでも椅子に座った。

「弟を、母の一周忌に帰してください」

弟の文哉とは四年、口をきいていない。母が倒れた日、文哉は東京で舞台に立っていた。玲奈は電話で「芝居なんかしている場合?」と言った。文哉は翌朝帰ったが、母の意識は戻らなかった。

葬儀のあと、文哉は「姉ちゃんは、間に合った人だから言えるんだ」とだけ残し、また東京へ行った。

一周忌は明後日だった。

店主は領収書を半分に破り、右側だけ玲奈へ渡した。

「これで?」

「半分です」

翌日、文哉から短い連絡が来た。

《帰れない。古瀬橋までなら行く》

古瀬橋は、故郷と隣町の境にかかる長い橋だ。実家からも駅からも遠く、法事とは何の関係もない。

半分しかかなわないとは、こういうことか。玲奈は腹を立てたが、当日の朝、喪服のまま車を走らせた。

橋のこちら側には誰もいなかった。

向こう岸を見ると、黒い服の男が小さく立っている。文哉だった。二人は同時に歩き出した。

橋の中央で止まる。

子どもの頃、二人はこの欄干に石を並べ、どちらが先に向こう岸へ着くか競争した。母は橋の真ん中で待ち、負けた方の手だけを握った。玲奈は、その手の温度まで急に思い出した。

「帰ってきたことにはならないから」と文哉が言った。

「私も迎えに行ったことにはならない」

川風が、数珠の房を揺らした。

玲奈は母の遺影を持ってきていた。文哉はそれを見て、目をそらす。

「母さん、最後にあんたの舞台の話をしたよ」

「嘘だ」

「半分は本当。『あの子、ちゃんと食べてるかね』って。舞台の話は私がした」

文哉は笑いかけ、失敗したような顔になった。

「姉ちゃんに、ごめ――」

そこで言葉を止めた。

玲奈も「私こそ」と言いかけて、残りを飲み込んだ。

半分ずつでよかった。どちらかが全部言えば、もう片方は受け取るだけになる。

二人は橋の真ん中で、母の遺影を挟み、長いあいだ黙っていた。

やがて文哉が言った。

「法事、まだ間に合う?」

玲奈は答えず、踵を返した。

弟の足音が、こちら側までついてきた。