水温二十六度の臨時総会

築四十年の波除館には、〈犬猫その他ペット禁止〉という規約があった。

だから留学生のサミルは、部屋で飼う五匹のディスカスを「丸い同居人」と呼び、大家の御廚谷玄洋には秘密にしていた。

秘密がばれたのは、一月の停電だった。

暖房も水槽のヒーターも止まり、水温計の数字が二十六度から下がり始めた。サミルが毛布で水槽を包んでいると、玄洋が懐中電灯を持って踏み込んだ。

「何だ、その派手な皿は」

「家族です」

日本語を間違えたのではない。サミルはまっすぐ答えた。

玄洋は規約違反を叱る前に、水温計を見た。

「まず生かす。説教は電気が戻ってからだ」

十分後、波除館で初めての臨時総会が開かれた。議題は五匹の保温。二号室の看護師が湯たんぽを持ち、三号室の料理人が鍋で湯を沸かし、四号室の双子が「体温も足しになる」と水槽の前に並んだ。

「熱湯を水槽へ入れるな」

「分かってます」

「その鍋、カレーの匂いがする」

「魚は食べません」

住人たちは湯を入れたペットボトルを水槽の外側へ並べ、冷めるたび交換した。普段は廊下で会釈しかしない者たちが、二時間ごとに当番を組んだ。玄洋は各部屋を回り、停電対策の名目で、独り暮らしの住人が無事かも確かめた。

夜明け前、サミルは魚を飼う理由を話した。故郷の妹が世話していた魚の子孫で、来日するとき「知らない国にも、毎日帰る場所を作って」と託されたのだという。

来日後、言葉を間違えるたび笑われるのが怖くなり、サミルは部屋へ誰も招かなかった。水槽だけが、発音を直さずに迎えてくれた。

玄洋は黙って、いちばん冷えたボトルを取り替えた。

昼すぎに電気が戻った。五匹はゆっくり水槽の前へ集まり、餌を求めた。部屋中から拍手が起きた。

「では説教ですね」

サミルが覚悟すると、玄洋は規約を広げた。

「犬猫その他、か。その他が広すぎるな」

翌月、規約は〈飼育は事前協議〉に変わった。サミルは始末書を書き、住人全員が緊急時の連絡先になった。双子は魚の名前を覚え、料理人はカレーを持ち込まないと誓った。

停電以来、毎週日曜には水槽の前で茶会が開かれる。玄洋は魚の名前を覚えられず、今も全部「皿」と呼ぶ。

サミルは訂正しない。

五匹を助けた夜、波除館には魚より先に、帰る場所を持たなかった人間が何人もいたと知ったからだ。