水面より高い声

沓掛夕映がプールサイドへ立つと、スピーカーから夏色の口笛が流れた。

閉鎖されていた市民プールの再開式。七年前、シンクロ部の親友が夜間練習で溺れ、この場所は事故の記憶ごと封鎖された。夕映だけが助かったが、なぜ自分が水中にいたのか思い出せない。水の匂いだけは、今も喉の奥に残っていた。

再開のために作られた曲は、泡の音と手拍子で弾む明るいポップだった。振付は当時の二人の演技を模している。

合成音声が笑う。

「息をそろえて」

夕映は一度だけ水へ入り、この曲を踊る。Aメロで潜ると、地上のシンセが遠のき、代わりに低い打音が骨へ響いた。三回、休み、二回。プールの底を誰かが叩く音だった。

事故報告では、親友は一人で深夜に侵入したことになっている。けれど夕映のロッカーには、二人分の濡れたタオルが残っていた。コーチは「思い出さない方がいい」と繰り返した。

水面へ上がる。サビの照明が青から桃色へ変わり、観客が腕を波のように揺らした。

「息をそろえて」

二度目の潜水。曲の泡音を消すと、親友の呼吸が現れた。一息、夕映へ吹き込み、浮上して吸い、また潜る。人工呼吸の間隔だった。

記憶が戻る。自動清掃のため、プールの可動床が夜中に上がった。夕映は足を挟まれ、水中で意識を失った。親友は何度も口移しで空気を運び、夕映を押し上げた。最後に非常停止ボタンへ泳いだとき、床と壁の隙間が閉じた。

コーチは無許可練習が露見するのを恐れ、監視録音を曲の素材として処分した。再開式の制作担当が、廃棄データを知らずに泡音へ混ぜたのだ。

最後の一音で、可動床が演出どおり上昇する。夕映は水面ではなく、底へ潜った。親友が叩いた場所に手を当てると、金属の裏から小さな笛が出た。二人で演技の合図に使っていたものだ。

笛を吹く。高い音が水面を突き抜けた。

「息をそろえて」

美しく同時に潜れという掛け声ではなかった。親友が自分の息を分け、夕映だけを生かし続けた呼吸の数だった。