波止場に置いたヘルメット

潮見翠の玄関には、使う人のいない白いヘルメットがある。

離島の診療所で働く笹舟皓平が本土へ来るたび、それをかぶって翠のスクーターの後ろに乗った。フェリーは一日二便。会える日は短く、別れはいつも汽笛に急かされた。

春から診療所の医師が一人減る。皓平は半年、本土へ来られないと言った。

ヘルメットの後ろには、二人で岬へ行った日に枝でつけた細い傷がある。翠は捨てようとするたび、その傷を指で確かめた。物なら返せるのに、そこに残った時間の返し方は分からなかった。

「だから、それ返す」

波止場のベンチで、彼はヘルメットを翠に差し出した。最終便の乗船開始まで七分だった。

「うちに置いとけばいいじゃん」

「邪魔だろ」

「別に」

「次、いつ来られるか分からないし」

翠はあごひもを指でなぞった。ここで「待っている」と言えば、皓平は島を離れる方法を探してしまう。高齢者ばかりの島で、夜中の呼び出しにも応じる彼が必要とされていることを知っていた。それだけが、好きと言えない理由だった。

「またね」

翠が言うと、皓平は小さくうなずいた。

いつも別れを薄めてくれる言葉だった。

乗船を促す放送が流れる。皓平は立ち上がったが、翠の手からヘルメットを取らなかった。

「翠は、次が半年先でも平気?」

「平気だよ」

「半年でも?」

逃げられないほど短い問いだった。フェリーの係員がロープのそばでこちらを見ている。

「診療所、忙しいんでしょ」

「それは答えじゃない」

皓平の声は静かだった。翠は海を見た。夕方の光が波の上で細かく砕けている。

「またね」

二度目は、喉につかえた。

皓平が乗船口へ向かう。あと三分。翠は白いヘルメットを胸に抱えたまま、その背中を追わなかった。

タラップの手前で彼が振り向く。

翠はようやく言った。

「また、だけじゃ足りない」

汽笛が鳴り、続きは風に消えた。皓平は一度だけうなずいて船へ乗った。

帰宅して、翠は宅配用に用意していた箱を畳んだ。白いヘルメットは玄関のいちばん取りやすいフックへ戻し、あごひもを外側に向けて掛けた。